2012年11月21日

ピンクのポンポン★38  2/4

※今回はじっくり読んで頂きたいために、わざと区切って更新します。ラストはハッピーエンドですが、これはまだ完治前の段階のお話です。同じ病気を発病しても、もっと早く快復する人もいれば、もっともっと快復に時間がかかる人もいれば、私みたく一生付き合う覚悟を決めてからマシになる人間もいてと、バラバラかと。勿論、余計に悪くなってしまう人達もいらっしゃると思うので、“思い込み”は持たずに、フィクションと認識頂いた上でお読み下さい。
モデルは存在しません、念のため

 確かに、一時期専門の病院に入院していたけれど、今は通院で済んでいる。但し、携帯電話は事件後に解約したまんまだったし、外出も他人との接触もまだまだキツかった。一人では外に出られない私のために、母はパートの仕事を辞め、弟は大学卒業と同時に、お給料の殆どを生活費として入れてくれていた。
 週に一度の通院は通院は、必ず朝一番で受けられるように、母が運転する車で出かけた。母は受付開始と同時に受付へ診察券を出してから、一度車へ戻った。そして、診察開始時間ギリギリに二人で病院の建物へ入って行った。
 弟の勧めで、二年前から月に一度、民間療法のカウンセリングを受け始めた。こちらの方が私には合っていたようで、自分では何も変化が無いと思っていたけれど、家族からは、表情が緩んでいる時があると言われるようになった。カウンセリングの先生の勧めで、今度は同じような病気を抱える人達の会合に出ることになった。家族や友達の同伴も可能だったので、両親に付き添って貰った。発言はしてもしなくても、どちらでも良かったので、私は何も話さなかった。
 でも、同じように他人の声を聞いただけで震えが止まらない人や、電話の呼び出し音や玄関の呼び出しブザーを聞いただけで頭がパニックする人、何年も一人で外出したことがない人達が、自分以外にも存在していると知っただけで、少しだけ安心ができた。発病の原因は様々だったけど、集まった参加者とその家族が苦しんでいた。
 そして一年半程前から、カウンセリングの先生の勧めで、自宅にあるお気に入りの本やCDに触れることを勧められ、実行した。最初は本当に触れるだけだったけれど、本を読んだり、CDをプレーヤーに掛けることができるようになった。会合の時のように、少し落ち着かないけれど、心と身体が本の内容や、CDから聞こえる音は何とか受け入れられるようになっていった。そんな私を見て、弟が私を喜ばせようと思って買ってきたDVDは、レジ袋に入れられたまま、部屋のクローゼットの奥へ暫く放置されることになった。相変わらず、病院の待合室に拒絶反応を出していた私には、まだ早すぎたプレゼントだった。
 普段、会合に参加している人達やかつて会合に参加していた人達を対象とした年中行事のお祝いが何度かあり、そんな時には一緒に参加してくれる家族と思い出話が弾んだ。他の人とも、子供の頃の思い出話を話したり、会合の前後にそうやって顔見知りになった人達や、ボランティアの人達と会場で雑談することもあった。
 事件から二年が過ぎた頃、久しぶりにDVDを観ることにした。勿論、母に隣についていて貰った。最初は三分ともたなかった。何度も観たことがあり、内容が分かっているDVDなのに、最初は恐かった。でも、毎日、DVDを観られるようになってからは、視聴時間も段々と延びた。
 そして、弟が買ってきてくれたDVDを最後まで観られるようになった頃、初めて、『出かけてみたい』という気持ちが芽生えた。カウンセリングの先生に相談すると、
 「その気持ちは大切に持っていて欲しいけど、まだ難しい気がする」と言われた。ショックを受けた私を見て、先生が話を続けた。
 「家のカーテンを開けられるようになるまで待った方が良いとは思わないけど、外はまだ刺激が強いかな?と思って。テレビはどんな感じかな?」
 私は素直に首を横に振った。事件以来、家族全員がテレビもラジオも使わない生活が当たり前になっていた。弟がどうしてもテレビを観たい時だけ、自室にこもり、部屋の鍵をかけ、ヘッドホンを使ってテレビを見ている。新聞さえも事件以来、まだ一度も読んだことが無かった。
 『いつになったら普通の生活に戻れるのだろう?』と思うと、涙が止まらなくなってしまった。今でもまだ、毎日が不安で、明日が恐怖という日々が、間違いなく続いていた。
 でも翌日から、テレビを観る練習を始めた。家族で相談した結果、毎日の15分ドラマから始めることにした。一日に複数回のチャンスがあるからだった。

mokkon at 22:00│Comments(0) 妄想小説 

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