2012年11月24日

ピンクのポンポン★39

見た目30代の父を持つ娘の(爆笑)不幸話

 父が若く見えることは、子供の頃は自慢だった。母も若く見えるけれど、父の比ではない。二十歳を過ぎてから、母と出かけると、歳の離れた姉妹に間違われることが多かった。でも、父の場合は高校に入った頃から歳の離れた兄妹に間違われることが始まっていた。にも拘わらず、ウチのオッサンは(濃くはないけれど)色の入ったサングラスを掛けていた。そのせいで小学生の頃の週末の参観日で、歳の離れた兄か叔父さんが授業を観に来たと勘違いされ、授業が終わるとクラスメイトに囲まれてちょっかいを出されていた。そして、私の父だと分かると、若々しい父親の存在を皆に羨ましがられたので、中学までは“自慢のカッコ良いパパ”だった。
 でも、高校に入った頃から異変が起き始めたので、私は同級生が自宅に来ることを避けるようになった。中学から同じ高校へ進学した同級生が父のことを噂したことが原因だった。最初は特に気にせず、高校のクラスメイトを自宅に招くこともあったけれど、仲良しだった友達の何人かが、父のことをアイドルを見るような目線で見るようになってから、自宅に友達が来ることを拒むようになり、父には学校の敷地内立ち入り禁止を言い渡した。父はガッカリしていたが、母が私の気持ちを説明し、理解してくれた。それが高校一年の夏休み前のことだった。よって、残りの高校生活二年半の間、ウチでのお泊り会ができない分、私はお泊り会に誘わても断っていた。他所の家に泊まりに行ってばかりだと、母の立場が悪くなってしまうので。
 そして姉の私とは違い、弟にとってはずっと自慢の父で、私から見ても“年の離れた兄弟”状態で、今も二人で釣りだ、登山だ、スノボだ、コンサートだと、色々と出かけている。
 でも、家族で出かけると、『パパ』や『ママ』と呼ばれる対象が存在するせいか、きちんと『父親』や『母親』に見られていた。

 今日からのコンサートも本当は母と一緒に行く予定だった。でも、おばあちゃんが捻挫して、実家に帰った母は来れなくなってしまった。学生時代の友達に連絡するも、皆、急な話だったこともあって全員に断られた。正直、オークションに出せる様な席ではなかったので弟を誘ったけれど、中学・高校と何度か付き合わせていたせいか、遅刻でも行きたくないと断られてしまった。そんな私が窮地に陥った光景をニヤニヤしなから見ていた人が居た。拘りたくなかった私は、
 「もう空席でいいや」と言い、ダイニングテーブルから立ち上がったのに、ちょっと待て!という言葉が飛んできた。
 弟とは顔が似ているのでカップルと間違えられたことはないけれど、サングラスが原因で『奥様』と呼ばれて以来、オッサンと二人で出かけることを完全に避けていた。私以外の三人には笑えるネタでも、私には高校生の時よりもショックな出来事だった。
 車で会社までに迎えに行く上に、1枚一万円でチケットを買い取ると言った。確かに、営業をしている父の仕事は26日から翌月の月初までは融通が利いた。行きはともかく、帰り道が車ということは魅力的だった。私はピンクのポンポンを振ることを条件に加えてみると、暫く唸った後、了解した。私は部屋に行き、二日分のチケットを父に手渡し、代わりに諭吉二枚を受け取った。でも、商談終了後、午後に一度会場の方へ行ってグッズを買って欲しいという条件を出すと、それはあっさりと納得していた。

 翌日、私は会社を出ると待ち合わせ場所へ向かった。父の車が先に来ていた。夕方のラッシュが始まっていたけれど、五とびでもなければ、月曜や金曜でもないので、電車よりも車の方が早く着くというのが父の予想だった。私は車の中で化粧を直してから、父が買ってきてくれたグッズを見ようとして気付いた。
 「間に合うの?」と訊くと、危ないかもしれないとのことだった。ラジオのスイッチを入れると、渋滞はしていないようだったけれど、車の動きは遅かった。父が記憶を頼りに裏道に入るも、到着した時には既に開演予定時間から10分以上が過ぎていた。おまけに会場近くのコインパーキングが一杯だったので、私だけ先に降りて会場へ入った。
 私が席に着いてから20分程度が過ぎた頃、隣の席に父が来たので、約束通り、鞄からピンクのポンポンを取り出して、父に渡した。遅刻が原因か、前の席の人達が振り返った。そして、身内同士で何か話していたけれど、無視していた。
 そして、あの曲が始まった。父は何とかステージに動きを合わせようとしていた。一応、頑張っているなと思いつつ、ステージと隣を交互に見ていたら、イヤな言葉があちらこらから聞こえた。勿論、遅刻した父を振り返って見ていた人達も、何度となく父をチラ見していた。
 「優しいご主人ね」
 「夫婦かな?」
 「羨ましい」
 「元ジャニーズとか?」
 「ウチも見習って欲しいなぁ」
 「珍しいわよね」
 「どうやって教育したのかな?」
 私は知らん顔して、ステージ上を観ることに専念した。

 コンサートが終わってから、車の中で母に電話をかけた。話を聞いた母は電話の向こうで、明らかに笑いを噛み殺していたけれど、じゃあ、明日のコンサートは何とかするからと言ってくれた。私は信号待ちをしている間に、父から明日のチケットを没収したけれど、遅刻が原因で、諭吉さんは返さなかった。

mokkon at 22:00│Comments(0) 妄想小説 

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