2012年11月28日

ピンクのポンポン★44

 マンスリーでリーマンに出てくれないかな?と思ってしまう(切実!) 春公演、昨夜の放送を観ただけでも、スマスマ・ファンの人達が3桁は足を運んでくれるのではないか?と期待  ファンへのサービスは、勿論、凄く嬉しいけれど、やはりが大事  これからも懸命な姿を見つめたい✌<❤

❀ 病気していたお姉さんの復帰 ❀
 姉と二人で出かけることが、こんなに嬉しいことだと実感したのは、初めてのことだった。
 今回も止めた方が良いのでは?と言ったけれど、二歳上の姉は納得しなかった。勿論、もう元気だから、そんな心配は必要ないことは分かっているけれど、やはり家族のこなので、つい気になってしまう。でも、昨夜からの姉の様子を見ていると、出かけることに決めて正解だったなと素直に思えた。

 二年前、姉に腫瘍が見つかった。休職が認められない職場であったため、自己都合扱いでの退職となり、以降、通院で様子見をしながら、バイト生活をしている。そのバイトさえも、繁忙期の通院に嫌味を言われることが原因で、長く続けることは出来なかった。地方都市に住んでいると仕事が少ないので、代わりはたくさん居るという“現実”があった。私の職場も似たようなもので、産休復帰が遅れようなものなら、事実上、退職になっていた。
 父は地元の中小企業に勤務していたので、お世辞にも収入は多くなく、母も私が小学校三年生の頃からずっと働いている。自分の家庭環境に対して不満を抱いたことはなかったけれど、お母さんが働いていないのに、学校が休みになると東京へ当たり前の様に遊びに連れて行って貰ったり、旅行へ連れて行って貰える一部の同級生達がいつも羨ましかった。勿論、そういう同級生達の父親が乗っている車と、父の愛車では大きさもデザインも全く違っていた。
 初めて東京へ連れて行って貰えたのは中学入学前の春休みだった。姉にとっては二度目の東京で、この時、父は留守番だった。高速バスで往復したため、数時間の滞在だったけど、心がワクワクしたことを今でも憶えている。
 姉は高校に入学すると、学校が休みの時はバイトをして、私も東京へ連れて行ってくれるようになった。往路が高速バスでも帰りは新幹線にしてくれたので、日帰りであっても、東京での滞在時間も長くなった。一度、私が学割証明書を貰い忘れてしまい、お金が足りなくなった時は母がお小遣いを渡してくれたこともあった。
 そんな頃、高校生だった姉が一人の芸能人に恋に落ちた。お小遣いが雑誌代へ消えてしまいそうになったことが続いたので、私のお小遣いから毎月、一冊だけ雑誌を買うことにすると、姉はとても喜んでくれた。そんな姉の喜ぶ顔を見ると、私もとても嬉しく思った。そして、私も高校へ入学すると、学校が休みの時はバイトをするようになった。
 そして東京へ行く時は、朝一番の高速バスで出かけて、混雑するお店への整理券を貰ってから、美味しいものを食べるという楽しみも増えた。それでも私達姉妹がコンサートへ出かけられるようになったのは姉が高校卒業後に就職してからのことだった。
 姉が初めて生で観る姿に感激し、初めて大声で名前を叫んでいた時の顔は今でもよく憶えている。大きなドームが私達姉妹のコンサートデビューした。短大在学中、私にもやっと王子様が現れると、姉は当たり前の様に付き合ってくれた。母は二人の娘を嫁に出せるのか?と心配し、父はあと五年は今のまで良いと笑っていた。そして、私は姉妹のどちらかが結婚するまで、こんな穏やかな時間がずっと続くと信じていたのに、姉がある日、腰痛で動けなくなり、救急車で会社から病院へ運ばれた。家族三人が搬送先の病院へ到着した時、姉は既に隣接する大きな街の大学病院へ転送された後だった。最初に搬送された病院の医師から、入院が必要になることと、命に拘るような病気ではないと説明を受けたので、一度帰宅し、入院に必要なのを持ってから、家族で遠い大学病院へ向かった。
 大学病院へ着くと、診察と検査を終えた姉は眠っていた。医師によると、片方の卵巣の中に腫瘍が見つかったとのことだった。以前から、時々、腰痛を訴えていたのはそのせいだったのかと両親と共に納得した。唯一の救いは、多分、良性のものであろうということと、良性の場合はすぐに摘出する必要のないサイズであるということだった。
 経過を見て手術をしましょうということで、倒れてから一年半が過ぎて、やっと姉の腫瘍が落ち着いて、腫瘍のみを除去する手術も無事に成功した。闘病中は姉に無理をさせないように、私のお出かけは母に付き合って貰った。そして、姉の王子様の御用でお出かけする時は、東京で一泊するようにした。
 今年の春の桜の舞台、姉は出かけられないことは分かっていたのに、チケットを申し込んでいた。私は日帰りで往復し、お芝居の内容や姉の王子様の様子を伝えた。お土産のグッズとパンフレットを渡すと、姉はとても喜んでくれた。そして、表紙が、少し傷んでしまったくらいにパンフレットを何度も眺めていた。

 あれから三ヶ月、ソロコンサートで姉のオタク復帰となった。
 「元気って、良いね
 姉が原宿駅から会場へ向かう途中で言った。私は大きく頷いた。でも、私は会場に着いてからやりたいことがあった。
 入場し、いつもの様に並んで席についた。ピンクのポンポンも用意し、姉は本当に楽しそうだ。客電が落ち、女性らしき声で客席を煽るアナウンスが始まった。私は姉の耳元で大声で言った。
 「お姉ちゃん、お帰りなさい!
 姉はピンクのポンポンを持ったまま、私に抱きついた。姉の王子様が登場したのに、姉は私に抱きついたまま、
 「ただいま」を繰り返した。そんな姉に、
 「いつかは、旦那様になる人と、二人で来れると良いね」と言い、抱きしめた。卵巣を残せたことで、姉の妊娠確率は1/4まで落ちずに済んだ。いつかは家族でコンサートに参加する日が来ると良いなと、ハードな生歌をBGMに私は思った。

mokkon at 22:00│Comments(0) 妄想小説 

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