妄想小説

2013年01月24日

突然の撮影?






 間が持たないのなら、将門の台詞でも言って欲しかった

 珈琲飲み過ぎて、胃ではなく、腸がイタタタ…… BGMは、あの番組
 >ではなく、の方(1+7)


 最近、具合が悪くて、を見る時間も短いので、完全に世間ズレ
 今日、家族を殺して、本人が自殺した事件の真相を人から聞いて知り、驚いたけど、何とかならなかったのかな?が本音

 行動の“線引き”できない性格だったのでしょうね、きっと。
 「どうしよう?」と、一人の人に言われる程度なら、何でもなくても、100人の人達から、次々と言われたら、どんなに心身共に健康な人でも、どうにかなってしまいそうな気がします。

 “線引き”は、悪いことではないと思うのですが

 良いことをした筈なのに、追い込まれてしまって……ということは誰もが経験することだけど、度合が違えば、対応できなくなって当然かと。
 だから、気になるのです、自ら説明することもなく、“被災地”を選び続けることに。

 大切な人を亡くしたのかな?と、勝手に考えてみたり……
 ボランティアが気分転換になっているのなら、良いのですが……

 ピンクのポンポン★80は、最初に練ったものよりも、細かく枝葉をつけることにして書き始めたにもかかわらず、更に枝葉を追加中。でも、幹の中には、当時、知人から聞いた話を盛り込む予定です。


 ドラマのプロモ活動を考えると、主題歌は他の人が良いんだけどなぁ……と思っています。ドラマが終了する頃にリリースするとしても、舞台中に収録があると思うので。
 ケガや病気も気になるけれど、頭が回らないことはもっと気になります。
 総責任者ですから

 二代目三郎が帰ってきてくれて、以前みたいに、若い人達を良い意味で引っ掻き回してくれるのならともかく……と、自分勝手に考えています。
 (話を元に戻すのも上手かった)
>そう言えば、どっちの方が背が高い?(二人共、座長より低かったから……)

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2012年12月02日

ピンクのポンポン★48

 【鈍感男の新しい恋の始まり】 
 そろそろ、お役御免だなぁと思いつつ、待ち合わせ場所へ向かうと、友達二人と三人で話をしている妹の姿が目に入った。声を掛け、簡単な自己紹介を済ませてから会場へ向かう。一人は二度目、もう一人は初めて会うコだった。
 妹は、またわざと僕から離れて、友達と僕を喋らせようとしている。
 元々は歳の離れた妹をコンサートへ行かせるのは良いけれど、帰り道が心配!ということで、以前は母が付き添っていたのに、妹の高校卒業と同時に僕の役目へとバトンタッチされてしまった。両親の、遅い時間の電車に一人で乗せて何かあると大変!という気持ちも分からなくはない。普通電車へ乗り換えてからは、車内が淋しい状態になる時があるし、車掌も車内を巡回しない。だから妹が夜遅い時間に帰宅する時、先頭か最後尾の車両に乗るように、僕が言っているくらいなので。でも、だからって、いつまて続ける事になるのだろうと思いつつ、妹の友達と適当に世間話をしながら会場へ入った。
 妹達は学生さんなので、一度、会場へ行き、グッズは購入済みのようで、揃って、襟元にハイビスカスの花をつけていた。中で、待ち合わせた方がお互いに楽だろうと思い、提案するも却下され、結局は今日も待ち合わせをさせられた。

 何となく、妹の本音は分かっている。もしかしたら、親からも何か言われているのかな?とも思う。僕が女性に対して、余り積極的ではないことを気にしてくれているのだろうなぁとは思う。だから、中での待ち合わせに反対するのだろうなぁとも。
 女性と付き合ったことも何度かあるけれど、長続きしないのも事実。相手の趣味に合わせても、こちらの趣味には付き合って貰うと不機嫌になられてしまう。それで、相手の趣味に付き合うことを止めると、破局するのがお決まりのパターンだった。お酒を楽しみながらジャズを聴いたり、クラッシックのコンサートに出かけた後に洒落たレストランで食事をすることも良いとは思う、でも、アイドルのコンサートへ誘うと、露骨に不快な顔をして、途中で帰ると言われたり、コンサートの後の食事の最中にずっと不機嫌な顔をされていたり、アイドルなんてどこが良いの?と言われてしまうと、こちらも誘わないけど、
 「元々、興味のない分野だから、一人で楽しんできてね」としか、言いようがないのだった。
 シスコンではないけれど、それで無駄になってしまういそうだったチケットも、妹は最後まで、そりなりに楽しそうに観ていたし、時には、自分が興味を持った女性アイドルのチケットを何とかして欲しいと言う妹の方が、一緒に居てお気楽なのも事実だった。ただ、妹についてゆくと、後ろの人達の手前、立てない!ので、ステージが見えないこともあるのが、残念だった。

 会場に入ると、今度は妹が友達二人とトイレへ行くと言いだし、ずっと喋っていた妹の友達と二人で、先に席へ向かうことになった。途中の自販機で飲み物を買うついでに、妹達の分も買った。
 今日、妹が誘った友達は一人は初めて会うけれど、客席へ共に向かっているのは、春に舞台を観に行った時も来ていたコだった。確か、他のグループが好きだけど、前々から興味はあったので、妹に誘われて来ることにしたと言っていた。と言うことは、彼女なりに今日の主役を気に入ったから、また来たのだろうと思っていた。
 待ち合わせ場所で会ってから、ずっと僕の仕事の話とか、普段はどんなコンサートへ行っているのか?と、インタビューみたいに聞いてくるけれど、控えめだけど、懸命に僕と話そうとしている姿に、悪い気はしていなかった。彼女にばかり質問を投げて貰うと申し訳ないので、僕も妹の普段の様子や、彼女の将来の夢を訊いてみたりした。
 そろそろ、開演なのに……と思って、心配していたら、妹達が戻ってきた。
 「トイレが混んでて、遅刻かと思った」
  くったくなく笑った後、席に座ると、妹がピンクのポンポンを鞄から出して、僕にも渡してきた。
 「冗談、やめろよ」
 「良いじゃない、手に持っているだけで良いからサ」
 諦めて、取り敢えず受け取ると、妹が肘で僕の左腕を突っついてきた。
 「何?」
 「どうだった?」
 「だから、何が?」
 「まあ、良いや。明日もあるから……」
 「何だよ?」
 「もう始まるよ」
 兄妹で言い合っていると、本当に客電が落ちた。
 まぁ、帰りの電車の中ででも訊けば良いかと思い、僕は渡されたピンクのポンポンを意味もなく、膝の上で振ってみた。

mokkon at 22:00|PermalinkComments(0)

2012年12月01日

ピンクのポンポン★47

 母からの楽しい嫌がらせ 
 コンサートの日程を間違えて伝えていたことが、申し込み後に判明した。しかもメールで送信したので、証拠隠滅不可能状態……
 
 「行ってくれば良いじゃない」
 昨夜もぶっきらぼうに、母から言われた。私もつい、苛々とした気持ちで言葉を返していた。
 「分かった、じゃあ、私が行かせて貰うね」
 「はい、どうぞ、どうぞ、行ってらっしゃいまし」
 「あのさ、そんな言い方するんなら、アンタが行けば良いでしょ!」
 「良いわよ、私は留守番で!」

 週末に両親は、父の実家で営まれる法要に夫婦で行かねばならなかった。場所が遠いのと、朝から始まり、他の親戚の見送りもしなければならないため、前泊し、翌日に戻ってくるため、2泊3日のお出かけということになる。
 日程をちゃんと伝えたつもりだった。と言うよりも、私自身が金曜・土曜の二日間と勘違いしていた。おまけに、母宛てに、一日ずれている日程をメールで送ってしまった。当然の様に、母は残念がった。それで今回は一枚ずつしかチケットを申し込んでおかなかった上に、その失敗に気付いたのが、チケットが手元に届いてからだった。
 当然、誤魔化しようがないので、母に正直に話した。
 元々、母はファンではなかった。でも、父がうるさかった為、高校を卒業するまではコンサート会場まで送ってくれて、帰りも最寄駅まで迎えにきてくれていた。でも、そんな母も大河への出演を機に、翌年から私と共に出かけることを楽しみにするようになっていた。
 正直に話し、木曜のチケットを譲ると話すと、
 「一人で行っても、つまんないから、一人で言って来て」と、あっさり話が終わったと思っていたら、そうではなかった。翌朝から、ネチネチと嫌味が始まった。
 「良いわねぇ、二日もタッキーの顔が見られて……」
 最初はそんな溜息混じりの言葉だったのに、日々、内容がエスカレートし、昨夜は遂に口論になったのだった。今朝はもう、口もきかなかった。

 溜息をついて、会社で一日を過ごした感じだった。駅で改札を出た時、前回の待ち合わせ場所を覗いてみたけれど、やはり母の姿はなかった。コンサート会場まで一人で歩くのは、初めてかもしれない……と思いつつ、一人で歩いた。
 お土産くらいは買っておこうと、ペンライトとバッグ、携帯クリーナーは二人分づつ購入してから、入場した。
 トイレの列に並んでいる時、携帯のメール着信音が鳴ったので、鞄から取り出すと、母からだった。
 「行ってらっしゃい。笑顔で帰ってきてね、言い過ぎた」
 心がホッとした。すぐに返信した。
 「行ってきます! ケーキ、買って帰るね」
 またすぐに母から返信が届いた。
 「遅いから、駅前のお店、閉まっているんじゃない? 無理しなくて良いわよ、今夜の夕飯はコレだから♪」
 添付されていた画像を開くと、和牛ステーキの写真だった。二通目がすぐに届いた。
 「あなたの分は用意していないから、コンビニでお弁当でも買ってきてね♪」

 すっかり、こちらの性格を読まれていたようで、絶句した。二通目のメールの着信が早かったので、すっかり私がメールする内容まで予想し、予め下書き保存していたのだろうなぁと、また溜息の連続になってしまった。
 それでも、笑顔になって帰らなければと思い、席についてからメールした。
 「タッキーに元気を貰って、帰りま〜す(^^)v ペンライト、買っておいたからね、他のグッズも!」
 すぐにまた、メールが届いた。
 「当然じゃない? 次回はちゃんと連れて行ってね」
 完全に不機嫌だなと思った。それでも、帰れば、『お帰り』と言って迎えてくれて、コンビニ弁当を食べ始めたら、きっとお茶を用意してくれるだろう。母はそんな人だ。苛々した状態で、家族を送り出したり、迎えたりすることが苦手な性格なので、父へのお小言は週末に集中しやすい。
 ただ、一人で出かけたくないのは本音かもしれないと思いつつ、ピンクのポンポンを鞄から出して、開演を待った。

mokkon at 22:00|PermalinkComments(0)

2012年11月30日

ピンクのポンポン★46

お疲れ様でした


三七日
 祖母を亡くしてから初参加 
 初めてコンサートへ来た時は、祖母がチケット代を出してくれて、お小遣いまで貰った。貰ったお小遣いで買ったものは今でも、私の大事な宝物。母からは部屋が狭くて片付けられないのなら、捨てなさいと何度も言われたけれど、私にとっては宝物で、絶対に捨てることができないでいた。その後もことあるごとに、祖母から貰ったお小遣いで、高校生だった私の宝物は増えていった。
 一人暮らしを始めてからは、時々、上京してくる祖母を、よく駅まで迎えに行ったり、見送りに行ったりした。就職してからは祖母の好きな演歌歌手の舞台チケットを買って、祖母を東京へ招待したとも何度かあった。そんな祖母にガンが見つかったのは去年の秋のことだった。
 祖母は祖父が亡くなってからはずっと一人暮らしで、私の実家からも少し距離があった。何かあると大変だからと、父は同居するように誘ったが、祖母は身の回りのことができる間は今の家の方が良いと断り、そのまま一人で暮らし始めた。
 父は毎晩、必ず電話を掛けていたし、私も一人暮らしを始めてからは淋しくて電話を掛ける機会が増えていた。電話で話す時の祖母はいつも元気で明るい声だったし、最後に上京した時も元気そうだった。でも、去年の夏、突然、祖母は病魔に襲われた。『突然』という言葉は違うかもしれない。祖母は身体にだるさを感じるようになるも、夏バテだと思って、父には何も言わなかったらしい。でも、ある日、珍しく祖母に買い物を頼まれた母が、頼まれたものを届けると、明らかに様子が変だっので、そのまま病院へ連れて行くと、祖母は血液検査を受けた後、処置室で栄養を補う点滴を打たれた。しかし、その間に母は診察室で他の大きな病院での診察と入院を勧められ、紹介状まで渡された。翌日、両親に伴われて祖母が紹介された病院へ行くと、前日の血液検査の結果が既に転送されていた。診察の順番待ちをしている間に、父が看護師に呼ばれた。もしもガンであった場合、本人への告知をどうするか?ということの確認だった。父が絶句すると、看護師から、取り敢えずは告知せず、気持ちが変わったら、医師に伝えて欲しいと事務的に言われたとのことだった。
 診察と検査が終わると、父は祖母が疲れているだろうからと、母と祖母を先に帰してしまい、一人で検査結果を聞いた。結果はガンで、手術できなくもないけれど、体力を考えると、手術を勧めることが難しいと言われたとのことだった。勿論、手術を希望するのであれば、もっと詳しい検査が必要だが、もしも転移していれば手術は不可能とのことだった。
 「まだ80歳と解釈するか、もう80歳と解釈するか、考え方や体力の差も個人差が大きくて、判断が難しいのです」と、医師も何とも言えない状況であったらしい。父が、放置した場合の余命を訊くと、やはり個人差が大きいけれど、年齢的に一年くらいではないか?と言われたとのことだった。
 早く結論を出さなければならなかったため、その次の週末、兄と父が上京してきた。お盆前に私が一度帰省すると、祖母が自分の病気に気付いてしまうからという配慮だったけれど、事情を説明されていなかった私は見合い話でも持って来れるのだろうと思い、仏頂面で父と兄を出迎えた。
 珍しく、ホテルのラウンジへ向かったので、ますます不機嫌にしていたら、父から祖母の症状を聞かされたのだった。涙が止まらなくなったった私に、父が言った。
 「結論を押し付けるつもりはない。お前ならどうしてあげたい?」
 何も答えられなかった。祖母は余裕で百歳を迎えると思っていた私にとっては、信じることのできない現実だった。まだ八〇歳で、二ヶ月程前にも祖母は東京へ遊びに来て、一週間程、私の世話を焼いてくれていたのだ。
 結局、その日は結論が出ないまま、父と兄は帰って行った。そして三日後、父から手術は受けさせないとメールで連絡が入った。祖母の余命が決められてしまった様にさえ感じた。
 その後、祖母はお彼岸までの二ヶ月程は母が家事を手伝いつつ、今迄通りに一人暮らしを続けた。そして十月に入ると、私の実家での同居生活を始めた。祖母はもう一人暮らしに戻ることもないだろうからと、殆どの家財を自分で処分した。着物は上等なものを除いて、古着屋へ売り、家具も嫁入り道具として持ってきた箪笥と鏡台以外は全て処分していた。だから、祖母のために用意されていた六畳の和室の押入れには、祖父の形見と家族との思い出の品、アルバム程度しか入っていなかった。
 お正月、祖母は楽しそうに台所に立っていた。母も私も祖母のお正月料理の味を残そうと必死だった。春はお花見にも出かけた。でも、ツツジの花が咲き始めた頃、祖母は急に動けなくなった。家の中なら問題ないが、外出が難しい状況になってしまった。医者が父に説明し、その父から聞かされていた通りのことが起こり始めていた。
 そして、紫陽花が満開の頃、医師の診断よりも一ヶ月程早く、祖母は静かにおだやかな表情でこの世を去ったのだった。

 祖母はいつでも、電話や会う度に、コンサートへは行ったの? 舞台はどうだった? TVで見たわよと明るく話しかけてくれていた。可愛がって貰っていたのに、曾孫以前にお婿さんの顔も見せてあげられなくて、ごめんなさい。
 でも、亡くなった今だからこそ、今日からは祖母と二人で参加している気持ちでいたいと思いながら、私はピンクのポンポンを鞄から取り出した。もう、コンサートに出かけても話を聞いてくれる人もいなければ、あの日みたいに会場の外で、
 「お帰りなさい、楽しかった?」と出迎えてくれた祖母は、もう居ないけど。

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2012年11月29日

妄想伝説★タッキー&翼★5

いよいよ、明日、11月30日はツアー・ファイナル
(^_-) ➽ ➽ ➽ ❤

では、皆様、妄想宜しくお願い致します o(^0^)o


 ファイナル終了後、万歳三唱が起これば、
   >>>>> 来年、CDチャートで一位獲得 
        ※但し、ソロ、ユニのどちらかです

 ファイナル終了後、三本締めが起これば、
   >>>>> 公演にあの人も出る 
        ※スケジュールが発表されていないので、完全に妄想 (^_^;

では、皆様、お気をつけてお帰り下さいませ







正直、他所様の心配している状況ではないのですが


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ピンクのポンポン★45

 いよいよ明日は30日の金曜…… かなりです。だって、滝子ちゃんニュース、更新なんですから また中間君にも出て欲しい ただ、今年、驚いたことは一年で並に老けてしまったこと…… 何があったの?気分  おまけに、髪を切ったせいか、今の私には、タッキーが20代前半にしか見えないのです
その昔の中村雅俊さんと神田正樹さん状態……
 タッキー同様、お芝居を観ている間にになった中間君に、また会いたいよ〜〜〜
 関西、行けないです。あったら、名古屋か仙台へ行ってました
貧乏人は辛い


❀ 女4人の節約ツアー物語 ❀
 お昼前、妹と二人で自宅を出て、途中、従姉妹を約束場所でピックアップ。いつものことだけど、貧乏旅行は辛い!
 お金は無いけれど、時間なら都合がつけられる! 貧乏な一族に育ったせいか、“我慢”と“忍耐”には慣れていた。今回も、当たり前の様にガソリン代折半で東京へ往復。勿論、高速なんてものは使わない。
 「夏は暑いことが当たり前! 冬は寒いことが当たり前! 文句を言うなら、出て行け!」が、父の口癖だったが、それは叔父も同じだったらしい。
 この兄弟、元々は田舎のボンボン育ちで、2人して東京の私立大学を一応は卒業している。でも、楽しい学生生活を謳歌していたらしい。勿論、未来の自分達がどうなるか?ということもちゃんと想像していたらしい。だから、母も義叔母も若くして嫁いできていた。昔の写真を見ると、私達姉妹や従姉妹達は、小学校入学か、幼稚園の入園までは良い服や着物を着せて貰っているし、祖母や母達のお正月の着物は毎年、帯も含めて新品で、男性陣の愛車は外車だった。

 でも、農地改革で手元に残せていた土地も、バブル崩壊で全てを失った。祖父が、投資や生命保険等のハイリスク&ハイリターン商品に手を出していたのだった。不動産の全てを売却しても足りす、結局は祖父が後援していた国会や県会の議員に力になって貰い、借金の利息だけは低い所への借り換えができた。そうしたら、自分の失敗のケリがついたと勘違いしたのか、祖父がポックリと旅立ってくれた。おかげで生命保険が下りて、借金の半分を片付いたついでに、祖母も父も叔父も相続放棄を選び、やっと借金と縁が切れるも、貧乏とは縁を切ることができなかった。理由は簡単、地元の名家に生まれてしまうと、誰かにガンガン言われることに不慣れな上に、プライドが高い。
 母も義叔母もおっとりとした環境で育っていたので、共に結婚前にコネで入社した信用金庫で働いた経験しかなく、外で働くなんてことが出来ない人達だった。
 そんな訳で、それなりの収入があるだけでありがたいことだと、私は就職してから身に染みたのだった。祖父が昔、学費を援助していた人達が何人か居て、その内の何人かが東京でキャリアを積み、地元で会社を興した。その自営業の人達の中の2人が、一人ずつ、つまり父と叔父を雇ってくれたのだった。勿論、余り役には立たない上に、プライドが高いので、帰宅時間は早い。父は個人病院で事務全般の仕事、叔父は弁護士・会計事務所で総務の仕事をしていた。
 
 そんな訳で、記憶に殆どない裕福な時代よりも、貧乏な生活が当たり前だったせいか、何かが欲しい!という欲求も少なく、皆がお洒落に興味を持ち始める年頃の頃でさえ、出かける時に、母が若い頃に着ていた古着を着せられても、特に不満は無かったし、逆に流行が一周して調度良かったくらいだった。
 でも、そんな私達姉妹と従姉妹にも、どうしても我慢できない欲求があった。それが芸能人大好き!とうことだった。小学生の頃、従姉が買ったアイドル雑誌を初めて見た時、完全に別世界を見た気分になってしまった。母や義叔母も、若い頃は近くでアイドルグループのコンサートがあると、早朝からプレイガイドに並んでチケットを買い、出かけていたらしく、見事に遺伝したみたいだった。
 でも、私達が中学や高校の頃なんて、アイドルが近くへコンサートへ来ることが殆どなくなっていた。
 だったら、こっちから行っちゃえ!と女四人が心を結束したのは、従姉と私が就職してからだった。そして、女四人が初めて出かけたコンサートが、今日も出かける人だった。不思議なことに、四人揃って他のアイドルのファンだった。でも、FCに入っていてもチケットが取れる訳ではないと言う“現実の壁”にぶつかった。そんな環境の中、初めて買えたお芝居のチケットを握りしめ、従姉の運転で上京。お目当てのアイドルでもなかったのに、全員が一目惚れしたのだった。
 それから暫くは週末になると、どちらかの家で女子会状態、お芝居の話をしたり、過去の出演ドラマのDVDを借りてきて、鑑賞会を開いたりもした。
 勿論、お芝居のチケットは買えても、コンサートチケットの倍率は高くて、暫くは買えない時が続いた。でも、その分、初めて買えた時はとても嬉しかった。
 そして今日も無事にチケットが買えたので、早めに行って安い駐車場を押さえたい、ただそれだけのことでもあった。結局、今回は、次の予定も決まっているので、一日だけ参加することにした。
 時々、国道沿いのドライブインで休憩を取りながら、予定通り夕方の早い時間に到着。少し時間を潰してから開場待ちの列に並び、入場した。前回は車の中で食べた夕飯も、今回は地下に広いロビーがあると分かっているので、そこで済ませた。夜食も勿論、従姉が持ってきてくれている。車の運転か、食料の持参のどちらかを担当することが、ルールになっていた。
 腹ごしらえが終わってから、客席へ向かう。設定年齢とは異なっていてもも“細雪”とよく勘違いされる。勿論、わざと四人で服装を揃えるので、勘違いされても仕方がないし、そんな質問を受けることも楽しい。今日の四人のポンポンもお揃いで、従妹が作ってくれたものだった。握り手の所に名入りの四角い根付けがついている。従姉と妹の結婚が決まったので、四人揃って出かけられるのも、残り少ないかもしれないけれど、今夜も楽しもう!と思いつつ、ピンクのポンポンを握りしめ、開演を待った。
 ふと左右を見ると、まだ開演時間まで、間があるのに、全員が握っているという事実に気づき、四人で笑った。

mokkon at 22:00|PermalinkComments(0)

2012年11月28日

ピンクのポンポン★44

 マンスリーでリーマンに出てくれないかな?と思ってしまう(切実!) 春公演、昨夜の放送を観ただけでも、スマスマ・ファンの人達が3桁は足を運んでくれるのではないか?と期待  ファンへのサービスは、勿論、凄く嬉しいけれど、やはりが大事  これからも懸命な姿を見つめたい✌<❤

❀ 病気していたお姉さんの復帰 ❀
 姉と二人で出かけることが、こんなに嬉しいことだと実感したのは、初めてのことだった。
 今回も止めた方が良いのでは?と言ったけれど、二歳上の姉は納得しなかった。勿論、もう元気だから、そんな心配は必要ないことは分かっているけれど、やはり家族のこなので、つい気になってしまう。でも、昨夜からの姉の様子を見ていると、出かけることに決めて正解だったなと素直に思えた。

 二年前、姉に腫瘍が見つかった。休職が認められない職場であったため、自己都合扱いでの退職となり、以降、通院で様子見をしながら、バイト生活をしている。そのバイトさえも、繁忙期の通院に嫌味を言われることが原因で、長く続けることは出来なかった。地方都市に住んでいると仕事が少ないので、代わりはたくさん居るという“現実”があった。私の職場も似たようなもので、産休復帰が遅れようなものなら、事実上、退職になっていた。
 父は地元の中小企業に勤務していたので、お世辞にも収入は多くなく、母も私が小学校三年生の頃からずっと働いている。自分の家庭環境に対して不満を抱いたことはなかったけれど、お母さんが働いていないのに、学校が休みになると東京へ当たり前の様に遊びに連れて行って貰ったり、旅行へ連れて行って貰える一部の同級生達がいつも羨ましかった。勿論、そういう同級生達の父親が乗っている車と、父の愛車では大きさもデザインも全く違っていた。
 初めて東京へ連れて行って貰えたのは中学入学前の春休みだった。姉にとっては二度目の東京で、この時、父は留守番だった。高速バスで往復したため、数時間の滞在だったけど、心がワクワクしたことを今でも憶えている。
 姉は高校に入学すると、学校が休みの時はバイトをして、私も東京へ連れて行ってくれるようになった。往路が高速バスでも帰りは新幹線にしてくれたので、日帰りであっても、東京での滞在時間も長くなった。一度、私が学割証明書を貰い忘れてしまい、お金が足りなくなった時は母がお小遣いを渡してくれたこともあった。
 そんな頃、高校生だった姉が一人の芸能人に恋に落ちた。お小遣いが雑誌代へ消えてしまいそうになったことが続いたので、私のお小遣いから毎月、一冊だけ雑誌を買うことにすると、姉はとても喜んでくれた。そんな姉の喜ぶ顔を見ると、私もとても嬉しく思った。そして、私も高校へ入学すると、学校が休みの時はバイトをするようになった。
 そして東京へ行く時は、朝一番の高速バスで出かけて、混雑するお店への整理券を貰ってから、美味しいものを食べるという楽しみも増えた。それでも私達姉妹がコンサートへ出かけられるようになったのは姉が高校卒業後に就職してからのことだった。
 姉が初めて生で観る姿に感激し、初めて大声で名前を叫んでいた時の顔は今でもよく憶えている。大きなドームが私達姉妹のコンサートデビューした。短大在学中、私にもやっと王子様が現れると、姉は当たり前の様に付き合ってくれた。母は二人の娘を嫁に出せるのか?と心配し、父はあと五年は今のまで良いと笑っていた。そして、私は姉妹のどちらかが結婚するまで、こんな穏やかな時間がずっと続くと信じていたのに、姉がある日、腰痛で動けなくなり、救急車で会社から病院へ運ばれた。家族三人が搬送先の病院へ到着した時、姉は既に隣接する大きな街の大学病院へ転送された後だった。最初に搬送された病院の医師から、入院が必要になることと、命に拘るような病気ではないと説明を受けたので、一度帰宅し、入院に必要なのを持ってから、家族で遠い大学病院へ向かった。
 大学病院へ着くと、診察と検査を終えた姉は眠っていた。医師によると、片方の卵巣の中に腫瘍が見つかったとのことだった。以前から、時々、腰痛を訴えていたのはそのせいだったのかと両親と共に納得した。唯一の救いは、多分、良性のものであろうということと、良性の場合はすぐに摘出する必要のないサイズであるということだった。
 経過を見て手術をしましょうということで、倒れてから一年半が過ぎて、やっと姉の腫瘍が落ち着いて、腫瘍のみを除去する手術も無事に成功した。闘病中は姉に無理をさせないように、私のお出かけは母に付き合って貰った。そして、姉の王子様の御用でお出かけする時は、東京で一泊するようにした。
 今年の春の桜の舞台、姉は出かけられないことは分かっていたのに、チケットを申し込んでいた。私は日帰りで往復し、お芝居の内容や姉の王子様の様子を伝えた。お土産のグッズとパンフレットを渡すと、姉はとても喜んでくれた。そして、表紙が、少し傷んでしまったくらいにパンフレットを何度も眺めていた。

 あれから三ヶ月、ソロコンサートで姉のオタク復帰となった。
 「元気って、良いね
 姉が原宿駅から会場へ向かう途中で言った。私は大きく頷いた。でも、私は会場に着いてからやりたいことがあった。
 入場し、いつもの様に並んで席についた。ピンクのポンポンも用意し、姉は本当に楽しそうだ。客電が落ち、女性らしき声で客席を煽るアナウンスが始まった。私は姉の耳元で大声で言った。
 「お姉ちゃん、お帰りなさい!
 姉はピンクのポンポンを持ったまま、私に抱きついた。姉の王子様が登場したのに、姉は私に抱きついたまま、
 「ただいま」を繰り返した。そんな姉に、
 「いつかは、旦那様になる人と、二人で来れると良いね」と言い、抱きしめた。卵巣を残せたことで、姉の妊娠確率は1/4まで落ちずに済んだ。いつかは家族でコンサートに参加する日が来ると良いなと、ハードな生歌をBGMに私は思った。

mokkon at 22:00|PermalinkComments(0)

2012年11月27日

ピンクのポンポン★43(42−2)

昨日のお話
 「先輩が普通にやっているから、断れなかったんです」
 お断りできなかった分、しっかりと笑わせて頂きました。目をカッと見開くシーンがなくて残念 またやって欲しいです  他のキャラでも良いので
  お昼の番組の笑顔にも ☚こんな感じで元気を分けて頂けました


周囲に心配が嬉しく感じる人の「行ってきます!」
 一昨日、自覚症状は無かったけれど、もしや……ということに気付いた。昨日、病院へ行ったら、やはり妊娠していた。今日と明日のことを考えると、何時(いつ)、夫に告げるべきか?と迷ったけれど、思い切って、昨日の夕飯の時に言った。想像通り、今日と明日、出かけて大丈夫なのか?という話になった。黙って出かけて、土曜に言おうものなら、余計に心配されるかもしれなという予想は当たっていたみたいだった。
 遠くに出かける訳でもないし、仕事も続けているので、
 「会社へ行くのと同じようなものだから」と、ニッコリと笑ってみせると、一応、納得はしたみたいだった。加えて、食後の片付けはいつも通り、手伝う気配も見せなかったので、
 「こうやって、家事もいつも通りにやっているんだから、大丈夫よ」と、泡立てたスポンジを手に持ったまま振り返るというCMみたいな姿を見せた。
 「でも、家事とコンサートは違うし……」と、夫が逃げようとしたので、
 「悪阻が始まった時には、家事はお願いね」とイヤミを言ってから、洗い物を片付けた。

 結婚して一年、周囲がうるさくなってきていたので、いいタイミングだなとは思う。ただ、病院は来週でも良かったかな?と、昨夜は後悔した。ただ、頭に来ていたので、今朝、朝御飯を食べながら、夕飯はコンビニでお弁当でも買って食べてねとまたイヤミを言うと、ウンという返事しか返ってこなかった。
 その返事で、更に苛々したので、出かける夫を居間から見送った。
 自分の母親に相談して、姑からお叱りの母親の電話なんて入らなければ良いのけどなぁと思いつつ、掃除と洗濯を片付けた。取り敢えず、本屋へ行き、マニュアル雑誌を買った。お医者様からはいつも通りの生活で無理をしなければ問題ないと言われたので、コンサートも立ちっぱなしでなければ、大丈夫な筈なのになぁと思いつつ、ダイニングテーブルで雑誌を読み始めたところで、電話が鳴った。
 自宅の電話へ掛けてくる人は限られているのて、イヤな予感を感じつつ、受話器をとると、やはり姑からだった。受話器の向こうから聞こえてくるおめでとうという言葉にも、心の中で溜息をついた。初孫ではないけど、今から楽しみだとか、ベビーカーは買わなくても義姉の所のお下がりがあるから等と、一通り喋った後で姑が、『それでね』という前置き言葉を言った。イヤな予感が的中した……と思っていたら、予想外の話が続いた。
 「家事を手伝いもせずに、コンサートへ行くのはどうか?って、ウチのバカ息子が嫌味を言ったみたいで、ごめんなさいね。私、ちゃんと叱っておいたから、体調が問題ないのなら、今日、明日と気持ち良くお出かけしてきてね。そりゃあね、一人で外国旅行へ行くとか言い出すのなら、さすがに私も心配するけれど、『ちょっと出かけるくらい、大丈夫よ!』って、叱っておいたから安心してね。無理がダメな事は、本人が分かっている事だから、本人が大丈夫と思っているのなら、大丈夫よ。それに、もしもダメになった時は身体の弱い子だったと諦めれば良いの。その時はまだ若いんだから、次があるわよ」
 私は丁重にお礼を言い、姑の、
 「じゃあ、気をつけて行ってらっしゃいね」という言葉に、素直に、
 「行ってきます」と言い、電話を切った。勿論、気持ちがしっくり来ていなかったのは事実だった。別に、もしもの話を、今、しなくても……と、唸ってしまった。気分転換に母へ電話をしようか?とも思ったけれど、反対されるとまた気持ちが苛々してしまうので止めた。

 お昼に、夫からメールが着信した。自分が悪かったと書きつつ、本当に気をつけて行ってきてねという内容に余計に苛々させられた。でも、よくよく考えると、それだけ心配して貰えるということは有難いことだということに気持ちを切り替えることにした。そうなると気持ちが軽くなったので、夕飯にパスタを用意しておくことにした。そのことを夫にメールすると、携帯が鳴った。電話に出ると、夫の心配そうな声が聞こえてきた。
 「もしもし、無理して作らなくても、大丈夫だよ」
 家事は手伝わないのに、心配し過ぎる夫に笑いそうになったけれど我慢した。そして言った。
 「大丈夫、昨夜も今朝もちゃんと、御飯作ったんだから」
 「そうだよね、ありがとう。じゃあ、願いします。でも、気をつけて行ってね」
 「うん、気をつけて行ってくる。ありがとう」
 短い会話だったけれど、心が明るくなった。

 会場に入り、先に来ていた友達の隣に座った。新婚の彼女が今朝の一件を楽しそうに話すのを聞いてから、私は昨夜からの一件を話した。勿論、彼女もおめでとうと言ってくれたけど、私の身体が心配な様子だったので、ありがたいことだなぁと彼女の優しさに気持ちが緩んだ。今日と明日は良い胎教になりそうだなと考えながら、ペンライトとピンクのポンポンの用意をした。
 「ねぇ、今から頑張って、子供も同級生にとようよ」と言うと、彼女は一瞬絶句した後、
 「それ、良いかも!」と言い、私の肩に手を置いてから笑った。
 今日、明日も楽しい思い出になりそうだなぁと思った。

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2012年11月26日

ピンクのポンポン★42(42−1)

★40と★41は後日、UPします

❀ 笑顔で「行ってきます」 ❀
 夕飯のカレーを作り終えて時計を見たら、あと一時間程で自宅を出る時間だった。ずっと親が共働きだったので、家事には慣れっこだけど、せっかくのお休みなのに、家事で昼間の時間が終わってしまうのは不満が残るけれど、仕方がない。慌てて、ベランダに干していた洗濯物を取り込み、たたんで片付けた。そして手早く支度を整えると、まだ暑い中、家を出てきた。

 今日は結婚してからは初めてのコンサート。今朝、夫を送り出す時、ちゃんと振り返って、
 「気をつけて行って来て」と言われたので、驚いてしまい、一度絶句した後で、
 「ありがとう、行ってらっしゃい」と送り出せた。

 昨夜、今日と明日の夜に出かけることを念押しした時は、
 「ウン、分かってる」とつれない返事だった。実家に居た頃なら、コンサートへ出かけると言っただけで、弟の、
 「また?」に始まって、両親も賑やかに反応してくれたけど、二人暮らしだとこんなものなのかなぁ?と、昨夜は淋しい気持ちになってしまった。だからと言って、私自身が興味の無いF1の話をされても、やはり面白くはないので、こんなものなのかなぁ?と思いつつ、そのまま、夕飯を続けた。そして、カレーを作っておくから温め直して食べてねという事と、御飯はタイマで炊いておくことも伝えたけれど、
 「ウン、分かった」の一言だった。
 お風呂の中で何度も溜息をつきつつ、今朝もいつも通りに朝御飯を作り、夫を起こした。もう一度、念押しした方が良いのかな?とも思ったけれど、またつれない返事をされると気持ちがへこんでしまうので、言うのを止めた。
 でも、ちゃんと憶えていてくれて、笑顔で『気をつけて行って来て』と言われたことで、一気に気持ちが明るくなった。買い置きの鶏肉で作る予定だったカレーの具を、牛肉に変更するため、商店街がちゃんと営業を始める昼過ぎまで買い物へ行くのを控えた。
 その代わり、午前中は洗濯と丁寧な掃除に励んだ。そして、早めにお昼を食べてから、戦闘開始!ということで、丁寧にカレーを作り始めた。玉葱くらいは午前中に炒めておけば良かったなと、後悔はしたけれど、でも丁寧にカレーを作った。
 いつもの様に発泡酒を飲みながらの夕飯になるだろうからと思い、枝豆も買ってきたので、野菜を煮込んでいる間に、枝豆も丁寧に塩で揉んでから茹でた。
 冷蔵庫の中に枝豆とトマトのマリネがあることと、『行ってきます!』とメモに書き、テーブルに置いておいた。勿論、メモの上に、発泡酒を飲むためのビールグラスをのせてきた。

 小さなことだけど、気持ちよくコンサートへ送り出して貰えたことが凄く嬉しい。そして、実家では当たり前のように気持ちよく送り出してくれて、気持ちよく帰りを迎えてくれていたことに初めて気づいたせいか、電車の中では完全に顔がにやけてしまった。
 会場に到着するとグッズを買い、入場して席についた。ピンクのポンポンは新しいペンライトと共に膝の上に置いた。帰りの電車の中で、両親に今朝の出来事をのろけるメールと、結婚前に気持ち良くコンサートへ出していてくれたことに感謝の気持ちを伝えたいなと思った。
 そして、夫にも、ちゃんと笑顔で『ありがとう』と伝えたいので、しっかりとコンサートを楽しみたいなぁと思った。
 携帯のメール着信音が鳴ったので、パンツのポケットから出して確認したら、まだ来ていなかった友達からだった。やっと、会場に着いたらしい。待ってるよ〜と返信し、携帯をポケットへ入れた。

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2012年11月24日

ピンクのポンポン★39

見た目30代の父を持つ娘の(爆笑)不幸話

 父が若く見えることは、子供の頃は自慢だった。母も若く見えるけれど、父の比ではない。二十歳を過ぎてから、母と出かけると、歳の離れた姉妹に間違われることが多かった。でも、父の場合は高校に入った頃から歳の離れた兄妹に間違われることが始まっていた。にも拘わらず、ウチのオッサンは(濃くはないけれど)色の入ったサングラスを掛けていた。そのせいで小学生の頃の週末の参観日で、歳の離れた兄か叔父さんが授業を観に来たと勘違いされ、授業が終わるとクラスメイトに囲まれてちょっかいを出されていた。そして、私の父だと分かると、若々しい父親の存在を皆に羨ましがられたので、中学までは“自慢のカッコ良いパパ”だった。
 でも、高校に入った頃から異変が起き始めたので、私は同級生が自宅に来ることを避けるようになった。中学から同じ高校へ進学した同級生が父のことを噂したことが原因だった。最初は特に気にせず、高校のクラスメイトを自宅に招くこともあったけれど、仲良しだった友達の何人かが、父のことをアイドルを見るような目線で見るようになってから、自宅に友達が来ることを拒むようになり、父には学校の敷地内立ち入り禁止を言い渡した。父はガッカリしていたが、母が私の気持ちを説明し、理解してくれた。それが高校一年の夏休み前のことだった。よって、残りの高校生活二年半の間、ウチでのお泊り会ができない分、私はお泊り会に誘わても断っていた。他所の家に泊まりに行ってばかりだと、母の立場が悪くなってしまうので。
 そして姉の私とは違い、弟にとってはずっと自慢の父で、私から見ても“年の離れた兄弟”状態で、今も二人で釣りだ、登山だ、スノボだ、コンサートだと、色々と出かけている。
 でも、家族で出かけると、『パパ』や『ママ』と呼ばれる対象が存在するせいか、きちんと『父親』や『母親』に見られていた。

 今日からのコンサートも本当は母と一緒に行く予定だった。でも、おばあちゃんが捻挫して、実家に帰った母は来れなくなってしまった。学生時代の友達に連絡するも、皆、急な話だったこともあって全員に断られた。正直、オークションに出せる様な席ではなかったので弟を誘ったけれど、中学・高校と何度か付き合わせていたせいか、遅刻でも行きたくないと断られてしまった。そんな私が窮地に陥った光景をニヤニヤしなから見ていた人が居た。拘りたくなかった私は、
 「もう空席でいいや」と言い、ダイニングテーブルから立ち上がったのに、ちょっと待て!という言葉が飛んできた。
 弟とは顔が似ているのでカップルと間違えられたことはないけれど、サングラスが原因で『奥様』と呼ばれて以来、オッサンと二人で出かけることを完全に避けていた。私以外の三人には笑えるネタでも、私には高校生の時よりもショックな出来事だった。
 車で会社までに迎えに行く上に、1枚一万円でチケットを買い取ると言った。確かに、営業をしている父の仕事は26日から翌月の月初までは融通が利いた。行きはともかく、帰り道が車ということは魅力的だった。私はピンクのポンポンを振ることを条件に加えてみると、暫く唸った後、了解した。私は部屋に行き、二日分のチケットを父に手渡し、代わりに諭吉二枚を受け取った。でも、商談終了後、午後に一度会場の方へ行ってグッズを買って欲しいという条件を出すと、それはあっさりと納得していた。

 翌日、私は会社を出ると待ち合わせ場所へ向かった。父の車が先に来ていた。夕方のラッシュが始まっていたけれど、五とびでもなければ、月曜や金曜でもないので、電車よりも車の方が早く着くというのが父の予想だった。私は車の中で化粧を直してから、父が買ってきてくれたグッズを見ようとして気付いた。
 「間に合うの?」と訊くと、危ないかもしれないとのことだった。ラジオのスイッチを入れると、渋滞はしていないようだったけれど、車の動きは遅かった。父が記憶を頼りに裏道に入るも、到着した時には既に開演予定時間から10分以上が過ぎていた。おまけに会場近くのコインパーキングが一杯だったので、私だけ先に降りて会場へ入った。
 私が席に着いてから20分程度が過ぎた頃、隣の席に父が来たので、約束通り、鞄からピンクのポンポンを取り出して、父に渡した。遅刻が原因か、前の席の人達が振り返った。そして、身内同士で何か話していたけれど、無視していた。
 そして、あの曲が始まった。父は何とかステージに動きを合わせようとしていた。一応、頑張っているなと思いつつ、ステージと隣を交互に見ていたら、イヤな言葉があちらこらから聞こえた。勿論、遅刻した父を振り返って見ていた人達も、何度となく父をチラ見していた。
 「優しいご主人ね」
 「夫婦かな?」
 「羨ましい」
 「元ジャニーズとか?」
 「ウチも見習って欲しいなぁ」
 「珍しいわよね」
 「どうやって教育したのかな?」
 私は知らん顔して、ステージ上を観ることに専念した。

 コンサートが終わってから、車の中で母に電話をかけた。話を聞いた母は電話の向こうで、明らかに笑いを噛み殺していたけれど、じゃあ、明日のコンサートは何とかするからと言ってくれた。私は信号待ちをしている間に、父から明日のチケットを没収したけれど、遅刻が原因で、諭吉さんは返さなかった。

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2012年11月23日

ピンクのポンポン★38  4/4

※今回はじっくり読んで頂きたいために、わざと区切って更新します。ラストはハッピーエンドですが、これはまだ完治前の段階のお話です。同じ病気を発病しても、もっと早く快復する人もいれば、もっともっと快復に時間がかかる人もいれば、私みたく一生付き合う覚悟を決めてからマシになる人間もいてと、バラバラかと。勿論、余計に悪くなってしまう人達もいらっしゃると思うので、“思い込み”は持たずに、フィクションと認識頂いた上でお読み下さい。
モデルは存在しません、念のため

 何だろう?と思っていたら、父が話し始めた。父は母から、私が少しだけでもテレビを見られる様になったというメールを受け取った時、とても嬉しかったらしい。でも、それを口に出すことが私の負担になるのではないか?と思い、嬉しい気持ちを口に出すことを我慢したとのことだった。でも、食事中、私の家族に対して抱いている罪悪感が、自分が想像していたよりも、遥かに大きいことに気付いた。今までは励ますことや自分の気持ちを表に出すことは控えていたけれど、今夜は少しだけ、自分の気持ちを表現したくなって、ケーキを買いに出かけたとのことだった。
 そして、母は父が何も言わずに出かけて、ケーキを買ってきたことを補足した。
 「ちょっとしたことでも、嬉しい。生き続けてくれてありがとう。さて、台所、手伝ってくるよ」
 父が立ち上がり、台所へと行こうとした時、急に外から男性の大きな話声が聞こえてきた。瞬時に私は両耳を塞ぎ、両親が私に寄り添ってくれた。台所に居た弟にも外の声が聞こえて様で、目を開いた時には、弟も私の傍に居た。私が落ち着くと、ご近所にお客さんが来ただけだったと母が教えてくれた。
 その後、やっとお茶の時間になった。途中、無理をして笑顔を作ってみると、3人が顔を見合わせながらも、既に笑顔になっていた。その時に私は、ずっと以前、学生時代に観て貰った占い師の言葉を、何故か急に思い出した。
 「貴女の笑顔を見ることが幸せという人も居るのよ。そんな人と結婚しなさい」という言葉だった。
結婚相手ではないけれど、自分が笑顔になっただけで、喜んでくれる両親と弟が居ることがとても幸せに感じられた。そして、私は少しずつ少しずつ、外界との接触を始めた。勿論、私からの一方的な接触であり、ちゃんと反応があるのは、今も病院と、民間のカウンセラーの先生、そして会合の時だけだった。自宅に誰かが来ることは、まだ受け入れられないでいた。私にとって『見ること』と『見られること』の違いは大きかったからだった。ただ、ドライブスルーでのお買い物は出来る様になっいた。

 頑張って出てきた。毎日が不安で、明日が恐怖。そんな日々が三年も続いていた。駅のホームで事件に遭遇して以来、今も電車には乗れない。今日はボランティアの人達に車で送迎して貰った。そして家族に付き添って貰い、事件後、初めてのコンサートの参加だった。席が選べないので、横一列に並ぶことになるのは仕方なかった。でも、両脇に家族が居てくれることが心強い。弟が先に入場し席を確認してから、開演ギリギリに入場した両親と私を迎えに来てくれた。周囲から見ると、単なる仲良し家族にしか見ないだろうなぁと思いつつ、私は俯いて前を歩く弟の靴を見ながら前へ進んだ。
 今日、事件後、初めて自宅の玄関扉を自分の手で開いた。思いついたので、家族にも告げ、家族に見守られた中で、扉を開いた。夏の眩しい光が顔に当たった。
 入口から客席へ向かう途中、何度か他人とぶつかりそうになったが、その度に家族が私を護ってくれた。他の人にとっては何でもない鞄のぶつかりでさえ、今の私にはまだ刺激が大きかった。勿論、以前の私も、外で自分の鞄や身体の一部がぶつからない様に気をつけるのは、お年寄りや子供、具合の悪そうな人に対してのみだった。でも、今、私の家族は、どんなに些細なことであっても、無意識に誰かを傷つけることをしていないか?と、気をつけるようになっている。なので、強引に私のためだけに道を作ろうとはしていない。ゆっくり、誰かの邪魔にならないように席へ向かった。
 何とか席に着くと、母が四人分のポンポンを鞄から出して、皆に渡してくれた。弟が今日の予習のために新しく買ってくたDVDを見ていたら、ピンクのポンポンの映像が出てきたので、また弟に頼んで調べて貰ったら、春の舞台公演でも使っていたので、持って行った方が良さそうとのことだった。父がビニール紐を買ってきてくれたので、母と私で作った。弟が買っておいてくれたペンライトを私に渡してくれた。通路から少し入った所の席だったので、通路に近い所から弟、母、私、父の順で並んだ。いざという時、すぐに席を立てるようにと、先週末の作戦会議で決めたことでもあった。弟が、
 「いさとなったら座って、ポンポンで顔を隠して音だけ聞いていれば? それでも無理そうなら帰ろう」と、私の前に拳を突き出してくれたので、弟の拳に私も自分の拳をぶつけた。きっと最後の最後までは無理だろうということは分かっていたけれど、こうやって会場へ来れただけでも、自分を褒めてあげたい出来事でもあった。
 客電が落ちてから、両親がほぼ同時に私の肘を掴んでくれた。それだけでも、私にはとても嬉しくて、心強く感じた。少しでもちゃんとコンサートを楽しみたい!という言葉が、私の心に浮かんだ。

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2012年11月22日

ピンクのポンポン★38  3/4

※今回はじっくり読んで頂きたいために、わざと区切って更新します。ラストはハッピーエンドですが、これはまだ完治前の段階のお話です。同じ病気を発病しても、もっと早く快復する人もいれば、もっともっと快復に時間がかかる人もいれば、私みたく一生付き合う覚悟を決めてからマシになる人間もいてと、バラバラかと。勿論、余計に悪くなってしまう人達もいらっしゃると思うので、“思い込み”は持たずに、フィクションと認識頂いた上でお読み下さい。
モデルは存在しません、念のため

 初日と二日目、私は母の右手を両手で握り、TVの前に座るだけで終わった。ドラマの放送時間が過ぎてからも心が緊張したままで、身体の震えが止まらず、立ち上がることもできないでいた。三日目にやっと、放送時間が過ぎると心の緊張が早めに緩むようになったけれど、身体の方は変わらなかった。その夜、弟がソフトのレンタルショップでドラマのDVDを借りてきてくれた。弟は百円ショップで買った手提げの中にレンタルショップの袋を入れた状態で私に手渡した後に、こう言ってくれた。
 「無理して見なくて良いから。でも、一週間したら返すから、途中まで見た時だけ教えてね。また、レンタルしてくるから」
 私はお礼の言葉よりも先に涙がこぼれた。弟の優しさが心にしみたからだった。自分の車を買ったり、旅行に出たり、お洒落も楽しみたい年頃の筈なのに、私を優先する生活に文句も言わず、更に優しく接してくれる弟の存在が本当にありがたく思った。今迄も家族に対して申し訳ないと思うことはあったけれど、弟に普通の生活を取り戻して貰うためにも、早く普通の生活に戻りたいと、初めて強く思ったのだった。
 今まで、そんなことまで考える余裕なんて無かったので。
 翌日の四日目、私は事件後、初めてテレビのスイッチを入れた。三分程で消してしまったけれど、お昼の放送では、五分程度、見ることができた。朝も昼も母は涙し、弟と父にメールを送った。
 父も弟も笑顔で帰宅し、相変わらず、食事中の会話は少ないけれど、その日の夕飯の食卓が明るく感じた。よくよく考えると、事件が起こる前までは、家族が揃っていない時ても、もっと賑やかな食卓だったことを思い出すと、悲しい気持ちが心に浮かび、私は家族に謝った。
 「私が事件に巻き込まれたばかりに、こめんなさい……」
 私は箸を置いて、泣き出してしまった。暫くしてから、弟が言った。
 「あのさ、自分から巻き込まれたくてそうなった訳じゃないこと、ちゃんと分かっているから。俺も以前はそのことでお姉ちゃんを恨んでいた時期もあった。正直、面接に行くと家族の名前と年齢を書かせる会社があって、そういう所は一次面接で全て落とされたからね。でも、気付かせて貰った、前へ進まないことにはどうしようもないって。それに、お姉ちゃんが自分で気づいてないだけで、お姉ちゃんはちゃんと努力してる。でないと、『出かけてみたい』という気持ちは持てなかったと思うよ」
 言い終わると、弟は何でも無かったように食事を続けた。父や母も暫くしてから食事を再開したけれど、途中で私の様子を見かねた母が私を部屋に連れて行ってくれて、ベッドに横にしてくれた。
 暫く眠ってから居間へ降りてゆくと、母は編み物をして、父と弟が将棋をさしていた。当然、テレビもラジオもついていない、我が家では当たり前になった光景だった。両親と弟の三人が互いに顔を見合い、何かを譲り合っていたので、私が先に言った。
 「さっきはごめんなさい」
 「だから謝らなくて良いってば」
 弟が言った。まだ三人が顔を見合っていたので、私は母の隣に座ってから訊いた。
 「どうしたの?」
 父がやっと口を開いた。
 「ケーキ、買ってきた。食べられるかな?」
 私は頷いた。
 「じゃあ、俺が珈琲を淹れる」
 そう言うと、弟が立ち上がった。 

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2012年11月21日

ピンクのポンポン★38  2/4

※今回はじっくり読んで頂きたいために、わざと区切って更新します。ラストはハッピーエンドですが、これはまだ完治前の段階のお話です。同じ病気を発病しても、もっと早く快復する人もいれば、もっともっと快復に時間がかかる人もいれば、私みたく一生付き合う覚悟を決めてからマシになる人間もいてと、バラバラかと。勿論、余計に悪くなってしまう人達もいらっしゃると思うので、“思い込み”は持たずに、フィクションと認識頂いた上でお読み下さい。
モデルは存在しません、念のため

 確かに、一時期専門の病院に入院していたけれど、今は通院で済んでいる。但し、携帯電話は事件後に解約したまんまだったし、外出も他人との接触もまだまだキツかった。一人では外に出られない私のために、母はパートの仕事を辞め、弟は大学卒業と同時に、お給料の殆どを生活費として入れてくれていた。
 週に一度の通院は通院は、必ず朝一番で受けられるように、母が運転する車で出かけた。母は受付開始と同時に受付へ診察券を出してから、一度車へ戻った。そして、診察開始時間ギリギリに二人で病院の建物へ入って行った。
 弟の勧めで、二年前から月に一度、民間療法のカウンセリングを受け始めた。こちらの方が私には合っていたようで、自分では何も変化が無いと思っていたけれど、家族からは、表情が緩んでいる時があると言われるようになった。カウンセリングの先生の勧めで、今度は同じような病気を抱える人達の会合に出ることになった。家族や友達の同伴も可能だったので、両親に付き添って貰った。発言はしてもしなくても、どちらでも良かったので、私は何も話さなかった。
 でも、同じように他人の声を聞いただけで震えが止まらない人や、電話の呼び出し音や玄関の呼び出しブザーを聞いただけで頭がパニックする人、何年も一人で外出したことがない人達が、自分以外にも存在していると知っただけで、少しだけ安心ができた。発病の原因は様々だったけど、集まった参加者とその家族が苦しんでいた。
 そして一年半程前から、カウンセリングの先生の勧めで、自宅にあるお気に入りの本やCDに触れることを勧められ、実行した。最初は本当に触れるだけだったけれど、本を読んだり、CDをプレーヤーに掛けることができるようになった。会合の時のように、少し落ち着かないけれど、心と身体が本の内容や、CDから聞こえる音は何とか受け入れられるようになっていった。そんな私を見て、弟が私を喜ばせようと思って買ってきたDVDは、レジ袋に入れられたまま、部屋のクローゼットの奥へ暫く放置されることになった。相変わらず、病院の待合室に拒絶反応を出していた私には、まだ早すぎたプレゼントだった。
 普段、会合に参加している人達やかつて会合に参加していた人達を対象とした年中行事のお祝いが何度かあり、そんな時には一緒に参加してくれる家族と思い出話が弾んだ。他の人とも、子供の頃の思い出話を話したり、会合の前後にそうやって顔見知りになった人達や、ボランティアの人達と会場で雑談することもあった。
 事件から二年が過ぎた頃、久しぶりにDVDを観ることにした。勿論、母に隣についていて貰った。最初は三分ともたなかった。何度も観たことがあり、内容が分かっているDVDなのに、最初は恐かった。でも、毎日、DVDを観られるようになってからは、視聴時間も段々と延びた。
 そして、弟が買ってきてくれたDVDを最後まで観られるようになった頃、初めて、『出かけてみたい』という気持ちが芽生えた。カウンセリングの先生に相談すると、
 「その気持ちは大切に持っていて欲しいけど、まだ難しい気がする」と言われた。ショックを受けた私を見て、先生が話を続けた。
 「家のカーテンを開けられるようになるまで待った方が良いとは思わないけど、外はまだ刺激が強いかな?と思って。テレビはどんな感じかな?」
 私は素直に首を横に振った。事件以来、家族全員がテレビもラジオも使わない生活が当たり前になっていた。弟がどうしてもテレビを観たい時だけ、自室にこもり、部屋の鍵をかけ、ヘッドホンを使ってテレビを見ている。新聞さえも事件以来、まだ一度も読んだことが無かった。
 『いつになったら普通の生活に戻れるのだろう?』と思うと、涙が止まらなくなってしまった。今でもまだ、毎日が不安で、明日が恐怖という日々が、間違いなく続いていた。
 でも翌日から、テレビを観る練習を始めた。家族で相談した結果、毎日の15分ドラマから始めることにした。一日に複数回のチャンスがあるからだった。

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2012年11月20日

ピンクのポンポン★38  1/4

※今回はじっくり読んで頂きたいために、わざと区切って更新します。ラストはハッピーエンドですが、これはまだ完治前の段階のお話です。同じ病気を発病しても、もっと早く快復する人もいれば、もっともっと快復に時間がかかる人もいれば、私みたく一生付き合う覚悟を決めてからマシになる人間もいてと、バラバラかと。勿論、余計に悪くなってしまう人達もいらっしゃると思うので、“思い込み”は持たずに、フィクションと認識頂いた上でお読み下さい。
モデルは存在しません、念のため

 頑張って出てきた。毎日が不安で、明日が恐怖。そんな日々が三年も続いていた。駅のホームで事件に遭遇して以来、今も電車には乗れない。今日はボランティアの人達に車で送迎して貰い、家族に付き添って貰っての参加だった。

 私は被害者ではないけれど、近くにいた。そして、目撃者ということで、そのまま、警察から長々と事情を聞かれた。
 考え事をしていた私は腕組みをして、俯き考え事をしていたので、前の人がホームに自ら降りたのか? 突き落されたのか?も分からなかった。身体が触れる様にくっついて並んでいた訳ではないし、私の記憶だと、その人の隣に立っていた男性の後ろに並んでいた記憶までしかなかった。
 電車の運転手が警笛を鳴らす余裕もない程、事件は起きた。気付いた時には、私の前に居た男性が居なくなってはいたけれど、被害者を突き落してから逃げたのか? 被害者が線路に飛び降りたから逃げたのか? 見ていなかった私は分からなかった。線路に転落してからの、
 「ワー!」という声は確かに聞いた。だから顔を上げてしまい、最悪の瞬間を見てしまった私は動けなくなってしまっていた。
 当然の様に、私も容疑者扱いを受けたけれど、被害者と接点が無いことが証明され、無実が証明された。
 その後、被害者は精神病院の通院歴もなければ、借金もなく、遺書めいたのも持っていなかった。人間関係のトラブルも見当たらなければ、持病等もなく、ちゃんと睡眠をとり、普通に朝食を食べてから自宅を出ていたので、通り魔のような殺人事件ではないか?と、自宅に訪ねてきた警察官二人から説明を受けた。その後、被害者が線路へ転落した直後に立ち去った男性が犯人である可能性があるので、顔や特徴を思い出して欲しいと言われたけれど、事件当日に話したこと以外は何も思い出せないことを告げ、謝った。すると、若い方の警察官が強い口調で言った。
 「本当に、あれ以上のことは思い出せないんですか? もしも、犯人が貴女の顔を憶えていたら、あなたに危害を加える可能性があるのに、呑気な人ですね」
 「そうなんですよね。だから何か思い出したことかあれば教えて貰おうと思って来たのに、残念です」
 年配の警察官も冷たく言い放った。
 「まぁ、これからは外出する時は気をつけて下さい。犯人が貴女の前に現れるかもしれませなから」
 若い警察官がそう言い終えると、2人は黙って応接間を出て行った。母が玄関で見送っている声が聞こえた。そして、応接間に入ってくるなり言った。
 「本当に、もう何も思い出せないの? 外で殺されたらどうするの!」
 母の言葉に心の糸が切れてしまった私は、そのまま大声で泣き出した。

 新聞での扱いは小さかったのに、会社や近所での事件の扱いは大きかった。最初は休職を認めてくれていた会社も、事件から三ヶ月を迎えようとした頃、退職を促す連絡が自宅に入った。その頃、私は食事が摂れなくて入院していたので、両親は私には何も告げず、退職の手続きをとり、荷物は母が取りに行った。その際、課長と部長に応接室へ通されて、事件についての質問を受けた母は、初めて私の気持ちが分かったと、後日、私に話してくれた。
 事件は事故、自殺、事件のどれかが分からない状態だったのに、
  本当は被害者と面識があったのではないか?
  加害者らしき男性は本当に存在していたのか?
  私自身が他人に恨みをかうことを何もしていないのか? などの質問を浴びせかけられたとのことだった。更には、つい最近も警察が会社へ来て、私のことをあれこれと個別に訊き、まともに業務できない状態になったので、社内から犯罪者を出さない措置をとることになったと冷たく言われたとのことだった。また課長や部長も部下の監視不十分ということで、訓告を受けてしまったことへの不満も母にぶつけていた。

 ご近所でも同じような言葉が両親や弟にぶつけられていた。
  本当は私が被害者を突き落したのではないのか?
  私の代わりに、被害者が突き落されたのではないか?
  前に立っている人の顔も見てないのは嘘ではないか?
  被害者が自殺しようした私を止めようとして、線路に落ちたのではないか?
 よくそれだけ妄言が並んだものだと思う。勿論、それは今も続いていて、ご近所では、私は再起不能の精神病の人間で、薬の副作用が原因で出産もできない身体になってしまっているらしい。

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2012年11月19日

ピンクのポンポン★37

王子様より大切な存在が現れました

 こんな落ち着かない気持ちでコンサートに参加するのは初めてだった。
 「犬を飼うよ!」と、父が言い出したのは、今年のお正月のことだった。三年前に兄か結婚し、去年の秋に姉が結婚した。私が居ないと、間が持たないので、父が出かけない週末は家に居て欲しいと、二月に母に言われた時、父が犬を飼う!と言い出したことに納得した。犬が来れば、変わるんじゃない?と言った私の何気ない一言が、一度もペットを飼ったことのない母に“怒りの炎”を点火させてしまった様だった。
 幾つの娘を相手につまんない喧嘩を売っているのだろう?と思った私は、新婚の姉の所ではなく、兄の家へ一週間家出した。義姉へは、母も強く言えないだろうし、姉の所とは違い、押しかけることもできないと踏んだからだった。代わりに、兄の携帯が昼間に何度も鳴るようになったので、兄が母からの電話もメールも着信拒否に設定した程だった。
 兄曰く、父は私が結婚するための準備として、犬を飼うんじゃないかな?とのことだった。まだ予定がないのに…と言うと、
 「予め準備しておきたいんじゃない? 犬と一緒なら散歩もドライブも一人で出かけられるし」と、納得できる意見を述べた。
 私の家出で、余計にどうしようもなくなったのか、私が家へ戻っても、母は何も責めなかった。ただ、兄はまだ着信拒否を解除しなかったようで、私が自宅に戻って三日目の夜、まだ兄の携帯に電話もメールも繋がらないという母の言葉を聞いた時、さすが、兄妹の中で一番、母親との付き合いが長いだけのことがあるなと納得した。
 自分の都合が悪くなると、矛先を変えるのが母の性格で、父はいつもそれを上手に躱していた。例えば、ご近所付き合いの愚痴が始まると、父は暫く話を聞いた後、そう言えば、換気扇が汚れていたなと台所へ行き、夕飯の準備までするタイプだった。でも父は面倒なことも避けて通っていたので、町内会の掃除や行事、役員の仕事はいつも母がこなしていた。
 父に、私の家出によるストレスの矛先が向けられなかったのか?を訊いたら、夕飯を外で食べようと誘っても断られたので、三日程、サウナに泊まり、四日目は姉のところに泊めて貰い、帰ってきたとのことだった。
 基本、家族仲は悪くはないと思う。子供三人が社会人になってからも、家族で、お花見や紅葉狩り、BBQ、郊外のショッピングモール等に出かけていたので。
 ただ、兄も姉も結婚して家を出たことで、母が心のバランスを崩しただけだろうと私は思った。そして、お父さんっ子で育った姉は、ドライな面もあったので、母親としては頼り難い子供なのかもしれなかった。

 そして四月、父が仕事から帰ると着替える前に居間へ入り、立ったまま宣言した。
 「ウチに迎える犬が生まれたぞ!」
 言い終わった後、父は小さくガッツポーズを決めたほどの喜びようだった。しかし、瞬時に母の“怒りの炎”を点火させてしまった様だった。
 「まだ赤ちゃんの孫が居るんですよ! それに、今後、孫の数が増えることはあっても減ることはないんです。喘息でも出たらどうするんですか!」
 しかし、犬が生まれただけで有頂天なっている父は、母の前に座り、母の両手を握って言った。
 「飼ったことがないから分からないだろうけど、犬は可愛いぞ。呼べば、来るんだから。結婚して家を出ることもないし、最高じゃないか。君も暮らし始めたら分かるよ」
 母は父の手を振り払い、立ち上がって言った。
 「キャンセルして下さい!」
 そして居間を出て行った。でも、それでも有頂天状態の父に訊いた。
 「何を飼うの?」
 「シェパードが良かったんだけど、ドーベルマンにした。その方が家の中で飼いやすいみたいだし」
 「……」
 「でも、三ヶ月は母親と一緒に暮らして躾けて貰った方が良いみたいだから、来るのは7月だな。今度の日曜、観に行くけど、お前も行くか?」と言われたので、頷くと、父は私の両手を握って言った。
 「楽しみだな! カメラも買ってこないと……」と言い、立ち上がった。私は急に気になったことがあったので訊いてみた。
 「お父さん、その子、いくらだったの?」
 父は、母に内緒ということで金額を教えてくれた。拍子抜けする様な金額だった。何でも、両親、祖父母の六頭全てがチャンピオンで、男三頭はアジアチャンピオンだったが、子供が生まれないと次のチャンピオンは生まれないが、我が家に迎える子犬はショーには出さないとのことだった。

 そして七月中旬、トイレトレーニングまで完了した状態の子犬が我が家に来た。父と私で迎えに行き、兄一家や姉夫婦も揃ってのお出迎えだった。最初、犬は緊張して、父の膝から降りようとしなかったけれど、皆にほんの少しだけ撫でられることで緊張も序々に解けたようだった。予防接種が終わってから迎えているので、夕方は母以外の一族総出の散歩となった。
 勿論、あれほどに犬を飼うことに反対していた母も三日も家で一緒に留守番していると、私よりも犬の方が可愛くなったようで、初日に犬を心配した父が居間で寝たことに呆れていたのに、自分のベッドへ引っ張り込むようになった。

 でも、私も生まれて初めて飼った犬のことが、可愛くてたまらず、正直、今回のコンサートのチケットだけは、
 「申し込まなければ良かった!」と後悔した程、今は仕事が終わると、急いで帰宅している。寄り道しても、ペット用品を扱う専門店で犬のおもちゃを買う程度だった。
 一人で留守番をさせている訳でもないのに、色々と気になるし、早く会いたい!と思う。おまに、今年は神宮の花火を母との二人分を申し込んでしまった。そちらの方も、どうして申し込んでしまったのでろう?と後悔しつつ、鞄からピンクのポンポンを出した。
 会場に着いてから、家に電話を掛けた時、母が言った。
 「あら、今から私とお散歩に出かけるのよ。心配せずにゆっくりしてらっしゃい。後で写真を送ってあげるから、それでも眺めながら早く帰ってらっしゃいな」
 当然、私は母のその言葉に苛々させられた。寝る前の散歩までには帰らなきゃ!と強く決心し、ピンクのポンポンを強く握りしめた。

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2012年11月18日

ピンクのポンポン★36

気ままな独身生活

働く節約主婦へ変身

 高速バスで東京へ出てきて疲れたれど、節約を考えると仕方が無かった。地方の派遣のお給料は安い。結婚後、やっと独身時代の呑気な生活を自覚した。
 今回のツアーでも複数の公演に参加したかったので、節約できる部分は節約したかった。
 昨夜は留守番してくれる夫のために、カレーを作った。深夜バスで帰宅した後、私も軽く食べたいと思ったので、昨夜、思い切って作ったのだった。そして、今朝、午前中は仕事をこなし、職場から高速バスのターミナルへ向かい、東京行きのバスに乗った。贅沢はできないので、今朝もいつもの様に二人分のお弁当を作った。一つはダンナ様のお弁当で、もう一つは私が東京へ向かう高速バスの中で食べるお弁当だった。
 有給を使うつもりでいたけれど、社員さん達が交代で夏休みを取っている最中なので、諦めることにした。三ヶ月更新の派遣なんていつ切られるか?が分からない。独身の頃は、そんなことは気にもしなかった。でも、結婚したら、いつかはマイホームも欲しいし、子供も欲しい。そう考えると、やはり節約せざるを得なかった。

 公務員の父は、何度か私に見合い話を持ってきたけれど、安定した生活を手に入れるために、気が合いそうにない男性と結婚することは、どうしてもイヤだった。そして、結婚!結婚!とウルサイ両親の為にも、自主的に婚活を始めた私は、 高校時代の同級生に誘われて参加した婚活イベントでダンナ様と知り合ったのだった。
 ありふれた海辺のBBQパーティーで、私とダンナ様はクジの結果、野菜切りのグループに入り、そこで運命の出会いを果たした。背が高くて温厚そうなところに、私が一目惚れし、猛アタックした。初めて会った日に連絡先を交換し、二度目に会ったのは、BBQパーティーに参加していた一部の参加者で開いたオフ会だった。そして3回目に初めて二人で会った。
 メールは亀レスで短く、こちらが凹むような内容ばかりだけれど、一緒に居ると話が弾んで、よく笑った。その笑顔が、とてもキュートだと、私は思っている。てっきり、2〜3歳くらい上かな?と思っていた私は、5回目に会った時に7歳も年上と分かり、驚いた。
 10回目のデートでプロポーズされ、2人で貯金に励むことにした。そして、知り合ってから半年が過ぎた頃、両親から、一度会いたいと言われたのでダンナ様を招待したら、お母さんが台所でお茶を用意している間に、お父さんが先に、
 「娘のことを宜しく頼む」と言ってしまった。そして、お母さんが紅茶のセットとケーキ皿をお盆にのせて応接間へ運んできた頃、既にお父さんはティシュを手に号泣中。事情を知らないお母さんは、お盆をテーブルに置くと、父の隣に座り、ダンナ様を真っ直ぐに見つめて、こう言った。
 「あなた、借金か何かある人なんですか?」
 私とダンナ様が顔を見合わせておどおどしていると、父が泣きながら言った。
 「違う…… 嫁に行ってしまうと考えると、昔の思い出が色々と蘇って……」
 まだ泣き続ける父に、母は追加のティッシュを渡した後、
 「ごめんなさいね」とダンナ様に謝ってから、お茶の用意を始めたので、私もダンナ様も一緒に手伝った。お茶菓子はダンナ様にお願いして買ってきて貰ったチーズケーキだった。母の好きなお店で、母の好きなケーキを買ってきて貰ったのだった。
 それから半年後、知り合ってから1年目の記念日に私達は結婚した。

 結婚前に話し合った結果、エンジニアをしているダンナ様のお給料は高い方ではないし、私は3ヶ月更新に加えて、毎年3月末日付けで退職し、翌日の4月初日に入社するという雇用形態での派遣社員である上に、産休復帰した前例が一件も無かった。なので、30代に入ってから子供を作り、暫くはマイホームの頭金となる預金に励もうという結論になった。そして優しいダンナ様は、子供ができるまではオタゴトを続けることを認めてくれた。でも引き換えに、2年後の車の買い替えを要求してきた。その2年後に買った車を10年は乗って貰う約束をして、要求を呑むことにした。
 独身時代は新幹線やタクシーは当たり前の日帰り遠征も、今は節約するしかなかったし、高いホテル代を支払って2日間も参加する何て贅沢は、私にとっては既に遠い贅沢になっていた。昨夜の寝不足を高速バスの中で解消できると思っていたけれど、想像していたよりも高速バスは乗り心地が悪く、バスを降りてからトイレに入ると、浮腫んだ顔が鏡に映って、驚いた。
 会場に到着し、入場するともう一度トイレに入った。鏡を確認すると、浮腫みはマシになっていた。
 席に着いてから、ダンナ様に『着いたよ』メールをすると、『楽しみだね!』というメールが開演間際に返ってきた。帰りの深夜バスの時間の確認は終演後でも問題なかったので、携帯電話の電源を切った。膝の上にはピンクのポンポンを既に用意済みだった。
 やさしいダンナ様に出会えて満足しつつも、やはりオタゴトの楽しみは続けたいと思った。そのためにも、独身時代よりも“愛”と“元気”を、今夜は貰って帰りたい! 今回は、あと2公演参加予定があるので。

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2012年11月17日

ピンクのポンポン★35(33−3)

※今回、登場人物の服装等を細かく書いていますが、実際に会場でお見かけしたのではありません。イメージして貰いやすいように書きました。
 今回はドロドロではありません。三者三様の考え方。
 演舞場でファミリーバーションをやって欲しくない理由を明記しました。加えて、エスカレーターが1F〜2Fしかないので、子供を舞台に上げるのは危険です。(他の演目の時に)事故も起きているので、備え付けのアンケート用紙でエスカレーターの設置要望は出しましたが、まだ設置されていません。子供も遊びも両方という気持ちは分かるけれど、ご飯食べている隣で色々とされたら、どう思いますか? 退屈して帰りたい!とゴネても席は立たない、せいぜい子供を叱る程度。
 託児室を設けて、子供は観劇でも託児室でも好きな方を選べるようにして欲しい。チケット代の安いA席に親子連れが集中しそうで、本当にもう止めて欲しいです。そこまで自分優先の人が親になることが、私には理解できないのも事実。子供に恵まれない人達も居るのに……
 そういう人達が自虐行為となるファミリーバージョンに来るとも思えないけど、気になって来られている方もいらっしゃるとは思うので。その辺り、考えてないだろうな〜。いつも子供好きをアピールしているくらいだから。
 以前、屋外イベントで、客席で一番若い人と一番年長の人は誰か?を始めた人が居たけれど、3年目で終了。生後3週間の子供や、屋外がキツい身内を連れて来る人が現れたから。ちなみに席が近かったので、笑顔で質問をしてみたら、その日のための計画出産だと笑顔でお返事頂きました。


自身の幸せに自覚のない新米ママ

 今日は友達と三人でコンサート。一人は子供嫌いで独身主義。もう一人も独身だけど、出会いがあれば明日にでも結婚したいと思っているタイプ。子供好きもあって、子供が生まれてからは、週末の午後、時々遊びに来ては、子供をあやしつつ、私の話相手をしてくれる。
 二人とは大学一年の時のルームメイトで、性格はバラバラなのに、何故か仲が良くて、大学2年から5年間もルームシェアしていた。解消理由は、私の結婚が決まったことだった。
 妊娠後、3人で集まる機会も減ったれど、子供を生まれてから、昼間短時間だけ、夫に子供を押し付けて、食事やお茶に出かけたことがある。
 元々は、私が中学時代から大ファンだった。でもコンサートへ一人で出かけることが不安で、子ども好きの方の友達について来て貰ったら、彼女も恋に落ちてしまった。そして、三人で大河ドラマも一緒に観ていたにも拘らず、特に興味を持っていなかった独身主義の友達はお芝居に誘ったら、最後に恋に落ちた。

 子供の面倒を見るために仕事は休めないという夫のせいで、昨日から実家の母に来て貰い、今日、明日と留守番を頼むことになった。夫は不機嫌、実家の両親からは電話口で文句を並べられた。
 生後二ヶ月の子供を外へ長時間連れ歩くのは難しい。それに妊娠してから、ミルクやおむつ替えが可能な劇場やコンサート会場が少ないという現実に気付かされると同時に、多目的トイレも存在しなければ、ヘビーベッドのあるトイレも無い劇場では、皆さん、どうやってオムツ替えをするのだろろう?と考えてしまった。幕間にスタッフの人が車椅子の人達に声を掛ける姿を観たことはあっても、まだ一人では歩けない赤ちゃんを連れた人達に声を掛ける姿を観たこともなければ、そういう女性達がスタッフに声を掛ける姿も見たことが無かった。
 授乳室もベビーベッドも無いのに子供を連れ歩くのは難しい。誰かが付き添いでついて来てくれるのならともかく、そうでなければ、難しかった。

 周囲を不機嫌にしたり、迷惑を掛けてでも、今日の外出を諦めることはできなかった。欲張りと言われても何も言い返せないけれど、寝不足しているのに、一日中、子供の世話と家事だけをこなしていると、
 「私って、何なのだろう?」と思ってしまう。TVドラマを観る時間があれば眠りたいと思うくらいに心も身体も疲れていた。ママ友も出来たけれど、話していても、そんなには楽しいとは思えない。おまけにベビーカーを押し乍らの買い物は、想像以上に大変で、平日の食料品の買い物はどうしても必要な時だけ、子供が眠っている間に行くようにしている。早く産休から復帰したいけれど、保育園の問題もあったし、これから本格的に離乳食が始まることを考えると、子供に恵まれたと言うのに、気が重いことばかりだった。それに、既に二人目や三人目を産んだママ友や会社の先輩さん達からは、ハイハイやつたい歩きが始まると、目が離せない上に、ゆっくりと御飯も食べられなくなるという話まで聞かされた。おまけに皆が口を揃えて、
 「夫はあてにできないのよね」という意見が一致していた。なので、どうやって育児や家事をこなしてきたのか?を訊いてみたけれど、回答が一致していた。
 「疲れすぎていて、よく憶えていないのよ。とにかく乗り切るしかなかったもの」
 更に一致した意見が、
 「二人目は育児への“慣れ”ができているから、一人目よりは楽よ」だった。新米ママの私から見ると、先輩ママ達、皆が“スーパーマザー”なのに……
 夫に子供を押し付けて、既に何度か出かけたことがあるという話をしたら、夫が優しくて、理解あるタイプという意見まで出た。
 世間にはいろんな意見があるものだなぁと思った。食洗機で乾燥まで終わっているのに、食器棚へ戻すことも手伝ってくれない夫は、私にとっては今や苛々の対象でもあったし、子供のお風呂も週末しか入れてくれなかった。
 そんなこんなで、子供は可愛いけれど、生後二ヶ月過ぎなのに、母親や妻としての私はストレスがひどくて、母に実家から出てきて貰ったのだった。お台場のホテルでランチをしていた時は、生き返ったような気持ちだった。念入りなお化粧も久しぶりなら、ドライヤーで髪をセットして出かけたのは、子供が生まれてから初めてのことだった。
 途中、母から、
 「子供を置いて出かけておきながら、様子伺いの連絡も入れないなんて、どういうつもり!」と、お叱りの連絡が入ったけれど、公衆電話ではなく、携帯電話の時代なので、何かあれば連絡が入る程度にしか考えていない。なので、母の携帯からの着信を見た時は、何があったのだろう?と、不安になったけれど、単なるグチだと分かり、ホッとした。
 コンサート会場に入り、席に着き、鞄からピンクのポンポンを取り出しながら、
 「今夜も明日も、ちゃんとコンサートを楽しまなきゃ!」と、心の中で思った。心と身体の元気を充電して、明後日からはちゃんと笑っている妻、そして母親でありたい。
 実家の母が来ることで外出を認めてくれた夫、子守りに来てくれた母、文句を言いつつも母を東京へ出してくれた父の三人に、『ありがとう』を明後日、ちゃんと言わなきゃね!と、ずっと思っている。

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2012年11月16日

ピンクのポンポン★34(33−2)

※今回、登場人物の服装等を細かく書いていますが、実際に会場でお見かけしたのではありません。イメージして貰いやすいように書きました。
 今回はドロドロではありません。三者三様の考え方。ちなみに、私は独身主義ではありません。出会いがあれば明日にでもと言い続けて、もう何年過ぎたのやら……

家族ごっこが嫌いな独身主義女性

 今日は友達と三人でコンサート。一人は既婚で、ママになりたて。子供の面倒を見るために仕事は休めないというご主人のため、昨日から実家のお母さんに出てきて貰い、赤ちゃんの面倒を見て貰っている。もしも子供を連れて出かけるのなら、私は別々に席を取ることは、彼女が結婚した時に伝えていた。今回はまだ赤ちゃんも小さいので連れてきてはいないけれど、そう遠くない未来に、私は一人で来ることになるだろうと思っている。一緒に来たもう一人も独身だけど、結婚願望が強く、子供好きなので、子連れと独身主義のどちらと一緒に公演を観たいか?は予想が出来る。
 大学一年の時の学生寮のルームメイトで、性格はバラバラなのに、何故か仲良しで、大学2年から5年間もルームシェアしいた。解消した理由は、新米ママの結婚が決まってからだった。
 今では3人で集まる機会も減ったれど、稀にママしている友達がご主人に子供を押し付けて、3人で食事やお茶に出かけることがある。楽しいけれど、育児の話をされてしまうと、何を質問すれば良いのか?が分からない私は、話の展開のさせ方も分からないので、ニコニコと話を聞き流して、相槌を打つだけだった。
 元々は新米ママが中学時代からの大ファンで、独身の方の友達はコンサートへ誘われて恋に落ちた。そして、大河ドラマも一緒に観ていたにも拘らず、特に興味を持っていなかった私は、二人から強引に誘われてお芝居を観に行き、三人の中では最後に恋に落ちた。
 それまでは、かなり年齢の離れた役者さんやミュージシャンしか興味のなかった私にとっては、自分で自分のことが不思議に思えた様な出来事でもあった。今も大好きなミュージシャンの年越しライヴを観てから帰省するので、お正月休みは今も2〜3日しか実家に居ない。でも、兄がお正月休みに帰省したのは、大学卒業後は一度しかなかったので、私の方が親孝行であることは確かだった。

 物心がついた時から、日曜はサザエさんを見ながら夕飯を食べていた。家族仲が良い訳でもないのに、強制される日曜の行事にウンザリしていた。
 兄が大学進学と同時に家を出て一人暮らしを始めた。三人家族になっても、その習慣は変わらなかった。
 同級生が結婚し、三度、遊びに行ったことがある。一度目は結婚式から一ヶ月が過ぎた頃だった。夫婦仲が良いのは新婚だから当然だと思っていた。二度目は結婚一周年記念のホームパーティーに招かれた時だった。結婚一年目でも、まだ新婚みたいなものだし、共働きなので同棲みたいなものなのかな?と思った。そして、三度目は今年のGWが明けてからだった。私の子供嫌いを気にした独身の方の友達が、生まれる前にお祝いを届けに行こうと提案したからだった。お腹の大きな彼女の代わりに、ご主人がお茶を用意してくれた。間もなくママになる友達は幸せそうで、夫婦ってこんなに仲が良いものなのかな?と思ってしまった。
 「普段はゴミ出ししかやってくれないのに、お客さんが来た時だけは張り切るのよ」と、彼女は不満をもらしつつも笑っていた。でも、元々、自動食洗機や自動乾燥機能付きの洗濯機で家事の一部をこなし、化学雑巾とモップをレンタルして簡単にお掃除。食料品の買い出しも、元々、二人で行くことが多いと聞いていたので、妊娠中に御主人に頼まなければならない家事は窓拭きと水周りの掃除程度では?と思ってしまった。
 そして母が、兄や私を妊娠していた頃の両親はどんな感じだったのだろう?と初めて考えた。喧嘩もしないけど、仲が良いようにも見えなかった。母の方が権力は強いけれど、鬼嫁でもなければ、カカア天下でもなく、家族が自分の思い通りに動かないと、ヒステリックを起こす程度だった。ただ、我が子が揃って地元の国公立大学に進学するだけの実力が無いことは自覚していたし、地元での就職も企業の数が少なくて難しいということも理解していたようだった。
 そんな事情もあって、母がサザエさんを強要していたのだろうか? それとも、サザエさんの30分間は、父の心のオアシスだったのだろうか?と、友達の家からの帰り道に、初めて考え込んでしまった。その日の夕飯は友達の家で焼肉を食べた。お肉とビールは私と独身の友達で割り勘で購入し、持参したものだった。夕飯の支度は私達がすることになると思っていたけれど、妊婦の友達がご主人に手伝って貰いながら、用意をしてくれた。18時半を過ぎてからの夕飯になったけれど、私の事情はご主人にも了承済みだったらしい。
 お腹が大きくて、ホットプレートで焼いたお肉が取り難い友達のため、ご主人が彼女が食べる分を小皿に取ったり、野菜やお肉をプレートに並べたりしていた。
 ご主人がコンサートのために休んでくれなかったことに対して、不満を並べていたけれど、実家のお母さんが応援に駆け付けてくれたのだから、恵まれた環境なのではないか?と考えてしまった。私から見ると、優しくて、しっかりとしたご主人と、優しいお母さんに護られて生きていて、これからもそういう人生か続く彼女と、間もなく似たような人生を手に入れるだあろう独身の友達が羨ましく思えた。私は自分一人で自分を護って生きてゆかなければならないし、やはり、結婚はこの先も考えられそうもないなと思いつつ、膝にのせたピンクポンポンを強く握った。
 もしも今夜の主役にプロポーズされても、きっと“普通”ということを経験したことが無い私は、即答で断ってしまうだろう。手が届かないから、ステージに笑顔を向けることが出来るし、大声で名前を呼んだり、手も振ることも出来る。きっとどういう形であっても、私と彼は話す機会も無いだろうし、彼に話しかけられることもないだろう。そういう環境が、私には安心出来るのだった。

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2012年11月15日

ピンクのポンポン★33(33−1)

※今回、登場人物の服装等を細かく書いていますが、実際に会場でお見かけしたのではありません。イメージして貰いやすいように書きました。
 今回はドロドロではありません。三者三様の考え方。

出会いがあれば明日にも結婚したい独身女性

 今日は友達と三人でコンサート。一人は子供嫌いで独身主義。もう一人は既婚で、今は育児休暇中。子供の面倒を見るために仕事は休めないというご主人のために、昨日から実家のお母さんに出てきて貰っている。私も独身だけど、ご縁があれば、明日にでも結婚したいタイプ。
 大学一年の時のルームメイトで、性格はバラバラなのに、何故か仲が良くて、大学2年から5年間もルームシェアしいた。解消した理由は、今はママしている友達の結婚が決まってからだった。
 今では3人で集まる機会も減ったれど、稀にママしている友達がご主人に子供を押し付けて、3人で食事やお茶に出かけることがある。
 元々は早々に結婚した友達が中学時代から大ファンだった。そして、コンサートへ誘われて一緒に出掛けた私も恋に落ちた。大河ドラマに出ている人という程度の認識が、大きく変わった時だった。そして、大河ドラマも一緒に観ていたにも拘らず、特に興味を持っていなかった独身主義の友達が、お芝居を観に行った時、最後に恋に落ちた。

 今もって、3人で集まると学生時代の話と殿の話で盛り上がる。食べ物やお洋服の話もするけれど、一番盛り上がるのは、やはり殿の話になる。
 本当の所は、独身主義の友達の地雷を踏まないようにしているだけだけど…… なので、いつも話題が限定されてしまう。まぁ、それでも一人で出かけて帰るよりは、皆でワイワイと観る方がコンサートもお芝居も楽しいとも思う。
 今日も、女3人がお昼前にはお台場で待ち合わせをして、ランチをした。会場からは離れるけれど、2DAYSとなると、2日目の待ち合わせがちょっとキツいのが本音。1日目はちゃんとランチして、明日はお茶だけしようということになった。
 お台場のホテルビッフェでランチを楽しんだ後、久しぶりにビーナスフォートへ。勿論、何も目当ては無い。フジTVのイベントが混雑していたので、青海の方へ逃げただけだった。ビーナスフォートでお茶をしてから、湘南新宿ラインで渋谷へ。そして、山の手に乗り換えて原宿へ出た。

 既に歩道橋は混雑していたけれど、人の列はちゃんと動いていた。グッズを買ってから、ママしている友達が新しいアルバムの予約をすると言い出した。私と独身主義の友達は止めたのに、聞き入れなかった。
 そして会場の中へ。独身主義の友達は白のコットンパンツにノースリーブのピンクのブラウス、そして去年の冬のボーナスで買ったダイヤのペンダントを合わせていた。身長が高いので、後ろの人に遠慮してペッタンコのサンダルだった。
 育児休暇中の友達は授乳中だけあって、胸を隠すため、緑のタンクトツプに濃い紅色と黒の縦じまのチェニックを重ねて、長年愛用している紺色のタイトスカートを履いていた。
 私は薄めの黄色の生地に、赤と紫の桔梗の花がプリントされたノースリーブのワンピースを着ていた。
 服装の好みもバラバラ、考え方もバラバラ。共通点は殿一人だった。
 いつも様に身長が高い独身主義の友達を真ん中に、3人並んで座った。私の隣は空席だったけれど、開演までは時間があったので、気に留めなかった。全員がピンクのポンポンとペンライトの準備が出来た。でも、やることもないなぁと思っていたら、育児休暇中の友達が、化粧品の話を始めたので、3人でその話に熱中していた所へ、70代くらいのおばあちゃんが、通路から入ってきた。
 「ごめんないね」
 そう言いながら、ゆっくりと前を通って行った。そして、予想通り、彼女は私の隣の空席に荷物を置くと、
 「あー、疲れた」と言い、溜息を一つついてから、荷物を一度持ち上げてから椅子に座った。その仕草が可愛く思えたので、友達の方を見ると、友達も可笑しかったようで、3人で顔を見合わせてから、俯いて笑った。
 「よっこらしょっと」
 彼女はそう言ってから、鞄を開き、ペットボトルを出すと、お茶を一口飲んだ。そして、買ったばかりのペンライトとピンクのポンポンを膝の上に置くと、オペラグラスを首にかけた。

 「お疲れみたいですね、遠くから来られたんですか?」と、私は何となく彼女に声を掛けた。開演時間が近いので、場合によっては、ペンライトの絶縁用の小さな紙を抜いてあげたいと思ったからだった。
 「違うのよ。出かけようとしたら、お父さんが文句のオンパレード。留守番が気に入らないんのよ。だったら、一緒に出掛ければ良いのに、それはイヤなんですって」
 そう話している間に彼女は絶縁の神を抜いて、ペンライトを袋に入れて、鞄の中へ戻した。でも、彼女の話は終わらなかった。
 「男の子の孫も居るのよ。でも、年に5回も会えないし、会ってもつまらなそうな顔をするのよねぇ。それで、ジャニーズにお金を遣うことにしたの。孫とは違って、文句は言わないし、TVでもコンサートでもニコニコしているから、孫を見ているより元気になれるんですよ。お嫁ちゃんと娘は私達の年金がアテに出来ないと分かってガックリしているけれどね」
 「お孫さん、お幾つですか?」
 「高校三年生、一年生、中学三年生と男の子と小学校5年生の女の子が居て、この子だけは自分が観たいコンサートの時だけ、ついてくるの。お嫁ちゃんはイヤな顔しているけれど、孫のニコニコしている顔を見るのは良いものよ。あら、ごめんなさいね。でも、私みたいにおばあちゃんが一人で来ていると、皆さん、気に掛けて下さるから、助かるわ。ありがとう」
 彼女はキラキラとした笑顔を私に向けてくれたけど、笑顔が眩しすぎて、緊張したほどだった。
 「そんな……」
 私は首を左右に振りながら、同時に右手を手刀の形にして、大きく顔の前で左右に振った。そして訊いた。
 「タッキーはデビューの時からですか?」
 「ドラマで観た時からだから、長いわね」
 「私は義経の頃からですから」
 「じゃあ、私の方が人生もタッキーも先輩ね」
 彼女と顔を見合わせて笑った次の瞬間、客電が落ちた。彼女は、ごく自然に立ち上がった。席に着く前は背中が曲がっている様に見えていたけれど、客電が落ちてから立ち上がると、背筋がピンと伸びていて、ウエストからヒップのラインもとても綺麗な弓なりのカーブを描き、無駄なお肉がついていなかった。
 こんな生き方もアリ!ではないかと初めて思った。まだ独身で、ピンとくる男性とも出会っていないけれど、今は私の結婚だけを楽しみにしていると、笑顔で言う両親の存在が帰省する度に重く感じるのは事実だった。そして、私自身、確かに同居もしていなければ、子供の頃でも年に数回しか会う機会のない祖父母に甘えた記憶が無かった。
 会う度に、お年玉やお小遣いを、大学を卒業するまで貰っていた。でも、敬老の日にプレゼントを贈るだけで済ませていた自分を情けなく感じた。
 ふと隣を見ると、彼女がコンサートを楽しんでいた。祖父母充てに手紙を書いてみようかな?と、思いながらステージに視線を戻した。


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2012年11月14日

ピンクのポンポン★32(31−2)

 一人で止めるつもりだったのですが、書き終えた途端にもう一人の方の気持ちも考えてみることにしました。隣の芝生が青く見えるのは、年齢問わず、いつの時代も同じですね、きっと。正面切って言わないけど、この人、凄いなぁと思う人、多いです。
女のドロンドロン劇場 機檻

 仕事が終わると、急いで着替えて駅へ向かった。ここで、もう一度、着替える。買ったばかりのミニ丈のワンピースとデニムのホットパンツは今年の流行で、試着室で何枚か試してから、少し派手に見えるデザインのものを二枚買った。
 サンダルと鞄は通勤の時と同じだけれど、こちらも2週間前に買った物を、今日、デビューさせた。
 OLで一人暮らしをしていると、それなりの収入はあるけれど、贅沢はできないので、服や鞄を新しく買う時は出かける予定が決まってからだった。社宅や寮に入った友達は家賃が安いみたいだけれど、ウチの会社にそんなものは無かったので、毎年の様に海外旅行に行けるような人達は実家暮らしをしている人達だった。おまけに社内の男性で、戸建てに住む人は少ないし、取引先の男性の服装は、社内の男性とたいして変わりないように見えた。やはり婚活に励むしか、安定した生活を手に入れることは出来ないことになる。
 家賃を下げるために一昨年引っ越して以来、通勤に1時間半程度かかるようになっていた。朝のラッシュ時、電車が動かないだけではなく、バスも乗車拒否されてしまうので、早めに自宅を出なければならなかった。

 会社近くの駅のトイレで着替えた後、ラメがたっぷりと入ったアイシャドーを塗り、マスカラも濃いめに塗り直した。口紅も濃い赤に塗り直してから、電車に乗り、二駅離れたコンサート会場の最寄り駅まで地下鉄で向かった。
 今日は大学時代からの友達とコンサートを一緒に観ることになっていた。女優さんになりたくて、東京の大学へ進学した彼女は、学生時代から夢に向かって努力をしていた。平凡に結婚して家庭に入り、旦那様に養って貰うことくらいしか夢を持てない私には、そんな彼女の姿がいつも羨ましくてたまらなかった。正しくは妬ましいと思うこともあった。彼女が所属している劇団は小さいけれど、彼女はそこで女優をしている。公演の時は他の劇団や事務所に所属している役者さんを招き、その同じ舞台に彼女は立っている。
 OL二年目の秋、珍しく、彼女から自分が所属している劇団の公演を観に来ない?とメールが届いた。今まで、一度もそういうメールを貰ったことが無かったので、珍しいなと思いつつ、メールを読んでゆくと、出演者の中には、私が中学時代に憧れていた人の名前も書いてあった。勿論、彼女はそのことを憶えていたので連絡をくれたのだった。
 興奮した私は、すぐに彼女に電話を掛けた。彼女は私が観に行くことを告げると喜んだ。そして、受付で彼女の名前を出せば、チケットを用意しておいてくれることと、チケット代は千円引きにする代わりに、終演後に回収するので、受付では支払わないで欲しいと言われた。私が大学時代の他の同級生達も誘って良いかな?と訊くと、彼女は快諾してくれた。
 公演は3日間あり、私は2日目と3日目を観た。私が誘った同級生は2日目に来る人と3日目に来る人に分かれた。内容は面白く、憧れていた人を近くで観ることができただけでも幸せだった。2日目の終演後、ロビーで彼女を待っていると、その人もロビーに出てきた。そして、その人を目当てに来ていた女性達に囲まれていた。私もあの中に入って行けたら……と思ったけれど、勇気が無かった。そして3日目の終演後、ちょっとした事件が起きた。3日目の開演前、彼女は建物の入り口脇に立っていた。どうしたの?と訊くと、関係者を案内するために待っているとのことだった。終演後、またロビーで彼女を待っていたら、その人がロビーに出てきた。でも、前日とは違い、真っ直ぐに私達の方へ向かって来てくれた。そして私は声を掛けられた。
 「ずっと僕のことを応援してくれているんだって? ありがとう。昨日も来てくれていたよね。これからも宜しく」
 笑顔で右手を差し出されたので、私は素直に握手して貰った。その後、私と一緒に居た友達にも握手してから、昨日もロビーで待っていた人達の方へ歩いて行った。
 その後、彼女が現れてから、その人のことを話すと、何でもないことの様に言われた。
 「開演前に小道具を渡す時、『ファンの人ですよ』って、服装とか話しておいたの」
 ありがとうと笑顔で言いつつ、心の中で彼女に対する新しい嫉妬が芽生えた瞬間だった。

 あの日以来、一緒にコンサートに出かける時には、アクセサリー以外のものは、無理をしてでも全て新しく買い揃えることにした。一年中、いつも同じ鞄を持ち歩き、ジーンズにTシャツかトレーナーという格好でしか出かけない彼女へのあてつけだった。正直、彼女と私では私の方が綺麗だし、スタイルも良い。その差を明確にしたくて、コンサートの時も彼女の劇団の舞台を観に行く時も、必ず前日にはネイルサロンへ行った。
 今も彼女の劇団の公演を観に行く理由は、あの人と同じ公演に出ていた他の役者さんが、その後、大ブレイクし、今では売れっ子役者として活躍しているからだった。他にも、彼女の劇団の公演に出た後、有名になった役者さんが何人か居て、そのことが合コンの時にちょっとした自慢話になるからだった。勿論、どこに出会いが落ちているか?は分からないので、コンパで知り合った人や会社の人であっても、男性を観劇に誘うことは無かった。

 会場へ到着すると、急いでグッズを購入し、中へ入った。今日の席に近づくと、彼女は見覚えのあるTシャツを着て座っていた。一張羅のTシャツが一昨年と同じ物ということになる。私は席に着くと、いつもの様に軽く挨拶しながら買ったばかりのペンライトを用意した。そして、膝の上に置いた真新しい鞄からピンクのポンポンを取り出しながら、彼女にエキストラのバイトで、どんなドラマにどんな風に出たのか?を質問した。


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2012年11月13日

ピンクのポンポン★31(31−1)

 一人で止めるつもりだったのですが、書き終えた途端にもう一人の方の気持ちも考えてみることにしました。隣の芝生が青く見えるのは、年齢問わず、いつの時代も同じですね、きっと。
女のドロンドロン劇場 機檻院

 久しぶりのコンサートで、心はワクワク。いつもの様に、メイク道具一式を鞄に入れて自宅を出た。
 女優を目指して、都内の大学へ進学したところまでは予定通りだったけれど、劇団のオーディションは受けても受けても落ちまくり。事務所のオーディションも大手は落ち続け、小さな事務所に所属して舞台やドラマのオーディションを受けに行くも、何度かドラマの端役に受かった程度だった。大学卒業と同時に、やっと大手の劇団の研究生の試験に受かるも、親は女優になりたいという夢に反対していたので、研究生になるための費用は出して貰えず、諦めた。
 小さな劇団に入ったけれど、公演の時は外部の『チケットを売れる』人達にメインの役を取られてしまうので、1〜2年目の公演の時は裏方の仕事ばかりやらされ、3年目から台詞と名前のある役を貰えた。そんな状態なので、メインは飲食店でのバイトだけれど、それさえも劇団の練習ではなく、雑用で休むこともあり、収入はいつも生活費で消えていた。
 何度か夢を諦めようと普通に働く道も探したけれど、大学卒業後、普通に働いた経験が無いことがネックになり、オーディション同様に落ちまくりで、面接にたどり着くことさえ少なかった。そして、そういうことがある度に、
 「私には女優になる道しか残されていない!」と強く心に思うけれど、その夢も遠かった。エキストラのバイトもしているので、今もTVには映り込むこともあるけれど、エキストラはエキストラでしかなく、拘束時間が長い割に良いバイトではなかった。
 中学、高校と演劇部で、高校時代に県のコンクールで優勝したことで、自分には出来る!と今も信じている。10年近い、過去の栄光なのに。

 いつもの様にメイク道具一式を持って、駅前のビルのトイレへ入った。ここのトイレは衝立で区切った個別のパウダールームがあるので使い易い。部屋にもエアコンはあるけれど、電気代が勿体なくて、使うのは年に数回程度。保冷剤で頭やうなじを冷やして眠ることが、夏の習慣として定着していた。学生時代の好きにエアコンを使っていた生活が信じられないくらいだった。そんな訳で暑い季節の化粧は、バイト先か、ここのパウダールームを使っている。
 化粧を終えると、私は電車へ乗り、会場へ向かった。最寄駅まで電車に乗ると料金が高くなるので、私鉄の駅で降りて、そこから15分程歩いていた。
 大学卒業と同時に舞台の方は観なくなっていた。一応は自分も役者であるというプライドが理由だった。学生時代の同級生から、会場が変わってから、春の舞台に女優さんは出ていないと教えて貰ったけれど、好きな人でも“役者姿”を観る気になれなかった。加えて、生活にそこまでの経済的なゆとりも無かった。
 でも、FCだけは頑張って続けた。運が良ければ、無料で、しかもコンサート会場よりも近くで姿を観る機会もあったからだった。勿論、話なんて出来ないし、20分程度の収録に3時間前に集合なんてこともあったけれど、それでも観覧が当たると嬉しくてたまらなかった。

 そして今日は久しぶりのコンサート。しっかりと『愛』を頂いて帰らないと!と思いながら、席に着き、ピンクのポンポンを膝の上に置いて、友達の到着を待った。
 開演5分前に友達が来た。また新品のバッグ持参だった。
 「その服、新品?」
 彼女のミニ丈のワンピースを指して訊いた。
 「そうよ。でも、さすがにこの格好で更衣室は出られないから、駅のトイレで着替えていたら、遅くなっちゃった」
 彼女はミニのワンピースにデニムの短パンという、今年流行りファッションに、サンダルと金のアクセサリーでコーディネイトしていた。爪は勿論、綺麗にネイルされていて、両方の人差し指の根本には綺麗なラインストーンまで並んでいた。そういうファションが羨ましいのは現実だけど、経済格差はどうしようもないのは事実だった。
 「ねぇ、最近、誰かに会った?」
 エキストラのバイトのことだった。公演があると、他の同級生も誘って観に来てくれる。だから、名前のある役が貰えて、9月の公演もそれが維持できていることも自覚していた。
 どのドラマでエキストラの仕事をしたのかを説明している途中、客電が落ちた。これでエキストラの仕事の話をせずに済むと思うと、ホッとした。さて今日も、しっかりと『愛』と『元気』を貰って帰らないとネ!と、心の中で強く思った。

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2012年11月12日

ピンクのポンポン★30

 今日はこの内容だったんだ……と予約投稿を見て、今、驚いています。餓死は犯罪です。どうして、こんな対応しかできないのでしょう? 薬殺でも、飼育施設運営でも費用はかかるけど、餓死はひどすぎです。野性の猿達も全国で無駄死にさせられています。

 心がボロボロだった。何をやっているんだか……
 「明日、明後日とコンサート、行ってきたら?」
 夕飯の途中で母が言った。私は箸をテーブルに置いて、また泣き始めた。
 「“今”だから、逝ったんじゃないの? 五月の健康診断の時は何ともなかったんだし、貴女の責任じゃないわよ」
 「でも、ちゃんと病院に連れて行ってたら、手術、間に合ったかもしれない……」
 「血液検査も受けさせていたし、食欲も普通で、散歩も元気。出すものもちゃんと出ていたのよ。どうして、具合が悪かったって、分かるの?」
 「だって、左側の脇腹……」
 母と私のやりとりを聞いていた父が、たどたどしい口調で話に割って入った。
 「儂が触っても、何も変わりはなかった。医者へ連れて行っても同じだよ」
 父が箸を置き、母もそれに倣った。

 三歳だった愛犬が三日前に亡くなった。五月に混合ワクチンを打って貰う時、血液検査と簡単な触診を受けた時は何も異常は無かった。でも、一ヶ月程前から、立ったまんま、身体の左側だけ毛繕いをする様になった。ノミは薬を使っていたし、アトピーも無かった。身体に触れても、特に異常は感じられなかったし、痛がりもしなかった。
 でも、以前にお隣で外飼いされていた犬が、よくお腹を毛繕いする様になったと思ていたら、それから二か月後、首にカラーが装着され、更に一ヶ月が過ぎると、室内飼育へ変わった。母が聞いた話だと、腫瘍が出来ていたのに、気付くのが遅く、病院へ連れて行った時には、手術を断られた状態だったらしい。でも、15歳という高齢だったせいか、室内飼いになってからも半年生きた。私が最後に散歩をする姿を見たのは、亡くなる2週間前で、腫瘍のせいか、垂れたお腹が目立っていた。
 そんなことがあったのに、腫瘍で愛犬を死なせてしまった後悔が今も強かった。もう一度、血液検査、精密なものを受けさせておけば、こんなことは起こらなかったのではないか?と、後悔がつのった。
 出費が続いていたので、少し出費が落ち着いてから連れて行こうとしたことが間違いだったとも思った。だったら、どうして両親に頼んで、獣医さんへ連れて行って貰わなかったんだろう?とも考えた。
 でも、犬の養育に関する費用は私が全て支払う約束で、飼うことを認めて貰ったので、親に頼る勇気が無かった。父は5年前に脳梗塞で倒れ、発見が遅かったため、半身麻痺が残った。生命保険が下りたけれど、大きな金額ではなかったので、父の症状が落ち着いてからは母が働き始めた。
 私は父が倒れる前に、就職の内定を貰っていたので、大学を卒業するまではバイトをメインとする生活に切り替えて、少しだけ家計を助けた。
 父はリハビリを頑張り、掃除や洗濯をこなせる様になった。近所への買い物も自ら引き受ける程、元気にはなったものの、話し相手も居ない日々だった。母も私も仕事で疲れているので、父の話し相手ばかりはしていられない。そんな時、私は朝の出勤途中の公園で、犬を連れたお年寄り達が毎朝、集まっている光景に閃いたことがあった。
 最初は父も母も反対した。父は掃除が大変になるのはイヤだと言い張り、母は余計な出費を避けて、私を普通にお嫁に出したいと言い張った。だったら、世話も養育費用も全て私が負担すると説得し、父と母がまだ半分くらいしか納得していない状況で、マルチーズを買った。
 いざ飼い始めると、予想通り、夕方の散歩と夕飯の用意は父の担当になった。犬も一家の主が誰であるか?は理解しているので、私に悪戯しては、父の所へ逃げ込むという賑やかな生活が始まった。母も帰宅と同時に抱き上げて、暫くは抱っこしているので、父が母に、
 「世話をしていない奴が、ずっと抱き続けるな」と文句を言う程だった。犬を真ん中に、両親が楽しそうに言い争いをする姿に、私はホッとしていた。父が元気だった頃よりも、両親は一緒に過ごす時間が長くなり、よく話すようになっていたのて、本当に犬を飼い始めて良かったと思っていた。

 そんな大切な存在だったのに、私は何をしていたんだろう?と思うと、涙が止まらなかった。マルチーズが3歳と若くて、油断していた自分が確かに存在していたのだ。
 春、タクシー代が高かったけれど、家族揃って舞台を観に行けた日が懐かしくさえ感じる。
 「親だと頼りない!と、アイツなりに考えたんだ。それに、急にグッタリと動けなくなったということも、アイツが選択したんだ。きっと看病して貰うより、少しでも普通に暮らし……」
 父も心の堰が切れたのか、泣き始めた。母が父の言葉を繋いだ。
 「最後の散歩もお父さんと元気に行ったのよ。私がいつもの様に抱っこしていたら、『今日も良いウンチとチーチをしていた』って、お父さん、話してくれたもの」
 言い終えると、母も泣き始めた。

 急に部屋の中を風が吹き、泣きながら顔を見合わせた。急に外から犬の鳴き声が聞こえたので、私が慌てて窓と雨戸を開けたけれど、庭には誰も居なかった。
 「死んだ犬に心配かけて、何、やってんだか……」
 エアコンを使っている都合で窓も雨戸も閉めているので、あんな小さな鳴き声が、普通に考えると聞こえる訳がないことに気付かなかったことが可笑しくなった。私は居間のサイドボードに置かれた小さな骨壺の入った袋を抱きしめ、まだ涙が止まらない状態だったけれど、父と母の方を向いてから、言った。
 「そうだね、行ってくる。行って、元気を貰ってくる。それで、お父さんとお母さんにも元気を分けてあげるようにするね」
 「行ってらっしゃいの『ワン』だな」
 父がゆっくりと言った。

 そして、今日、私は予定通り、友達とコンサートに来た。犬が亡くなったことを話すと、ウチに来たことがある友達が残念がってくれて、そのことも落ち込んでいた私の慰めとなった。そして、友達も言った。
 「きっと、ツアーが始まるこのタイミングだから逝っちゃったんだよ。そんな気分じゃないかもしれないけれど、今日と明日は供養の為にも、ちゃんと楽しもうね」
 私は笑顔のまま、涙をこぼした。ピンクのポンポンを膝に置いて、友達と他ことを話しつつ、開演を待った。客電が落ちて、立ち上がった時、左足に小さなものがぶつかる感覚を覚えた。俯いてから心の中で言った。
 「一緒に楽しもうね!」
 私に甘えたい時、いつも左足にしがみついて顔をぶつけることが奴の癖だった。


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2012年11月11日

ピンクのポンポン★29

 ホットケーキを焼きました。目分量で材料を入れていたら、砂糖が急に袋から多量にボールの中へ入ってしまいました。甘めだけれど、ふっくらと焼きあがったので、ホッとしました  これで膨らまなかったら、とても悲しい
離婚  コンサート復帰

 「どうして、俺が我慢しなきゃあいけないの?」
 「私だって、貴方が会社を辞めてから、コンサートもお芝居も出かけていないし、子供の服だって、お下がりばかりで、一枚も買ってあげてないのよ」
 「それは、生活に『絶対に必要な物』ではないからだろ? 俺の煙草は生活必需品。それに、会社辞めたけど、節活費はちゃんとバイトして渡しているから、君のやりくりが下手で子供に服も買えないだけじゃないの?」
 「じゃあ、貴方が家計をやりくりして下さい」
 「今更、イヤだよ。失敗した家計を押し付けるなよ。だったら、離婚して俺が出て行こうか?」
 「……。そうして下さい」
 夫は立ち上がると、思い切り私の頭を平手で叩き、ジャージ姿のまま、出て行った。近くの店へツケで飲みに行ったのだろう。夫が立ち寄りそうな店には事情を説明し、夫が来ても飲ませないように頼んであるけれど、飲ませないと他の客に迷惑がかかるからと、どの店でもやんわりと断られた。
 どうしてこんな人と結婚しちゃったんだろう?と思うと、情けなく思ったけれど、もう流す涙も無かった。一人歩きを始めた子供が起きてきた。
 「ママは悪くないよ」
 「ありがとう」
 私は子供を膝の上に座らせて、後ろからギュッと抱きしめた。
 「ママ、パパ要らない」
 「どうして?」
 「パパ、嫌い」
 「どうして?」
 「嫌いだから」
 「そんなこと、言わないで……」
 子供が黙ってしまった。暴力が心配で、子供と夫を二人きりにしたことは一度もない。保育園のお迎えも、どうしても自分で行けない時はママ友にお願いして、預かって貰っていた。
 夫とは出来ちゃった婚だった。妊娠し、初めて両親に紹介した時、妊娠のことを何も言わない夫に対して、両親は激怒し、結婚に猛反対した。でも、夫をおおらかな性格だと勘違いしていた私は、両親を説得し、結婚して子供を産んだ。1年前に会社を辞めた夫の収入は、元々、お世辞にも高いとは言えなかったので、私は子供が生まれた後も仕事を続けることを選んだ。でも、そのことが彼のプライドを傷つけていた。
 母子家庭で育ったことで、逆に母親から甘やかされて育っていた。母親が子供二人を育てるために、昼間働いて一度帰宅。夕飯を用意して食べてから、夜は居酒屋で皿洗いのバイト。そういう環境で育ったから、母親は家に居て欲しいと言われたけれど、子供の教育にはお金がかかるし、一人っ子では可哀そうという理由で突っぱねた。でも、本当の理由は、そういう環境で育っておきながら、家事を全く手伝ったこともなければ、バイトをしたこともなく、就職後に母親に小遣いを渡したこともないという事実を知り、私の心の中で引っ掛かりを感じたからだった。

 会社で、家庭の話をすることは無かったし、元々、子供が生まれてからは飲み会は全て断っていたので、職場に相談相手はいないと思っていた。でも、分かる人には分かっていた様だった。ある日、主任から呼び出しを受けた。50代の女性で、既にお孫さんが居る。朝から、
 「今夜の夕飯、何にしようかしら?」を何度も口にする人だった。ご主人も同じ会社に勤務していて、帰宅は遅い。
 主任はミーティングルームの扉を閉じるなり、立ったままで言った。
 「ミスは無いけど、最近、ひどい顔で仕事しているわね。服は全部、去年までと同じだし、靴は爪先とヒールのかかと部分がボロボロ。貯金が底をつく前に、離婚しなさい。部屋を借りる保証人くらい、なってあげるから」
 「……」
 「どうして、私にそんなことを言われなきゃいけないのか?と思うかもしれないけれど、見ていれば分かるわよ。髪に艶が無いのは身体か心のどちらかの具合が悪いの。最近の顔つきを見ていると、悪いのは心の具合でしょ? 私、友達の離婚に反対して、後悔したことがあるの。それで最近、やっと、分かったの。どうにもならないことは、どうにもならないわ」
 そう言うと、主任は笑顔を見せて、私のために椅子を引いてくれた。
 「さっ、座って。離婚を勧める上司は最低の存在かもしれないけれど、以前のあなたはよく笑っていたのよ、可愛らしい笑顔でね」
 その後、主任は自販機で買った温かいココアをミーティングテーブルの上に置くと、
 「携帯でもいじって、30分程、休憩してなさい」と言い残し、ミーティングルームを出て行った。

 その次の週末、私は部屋を探し、家を出た。相手が離婚を承諾しなかったので、親からお金を借りて弁護士さんに依頼し、裁判を起こした。慰謝料等の請求は双方共に無しとし、子供の親権は私のものになった。面会に関しては、子供が裁判所でハッキリと何度も、
 「パパ、嫌い」を繰り返したのと、私が暴力を手帳に書いていたことが理由で、認められなかった。
 離婚が成立し、ホッとした頃、子供がよく笑うようになったことに気付いた。ある日、お風呂の中で頭を撫でながら言った。
 「ご機嫌だねぇ」
 「ママもご機嫌だよ」と言い、湯船の中で私に抱き着いてきた。
 やっと生活が落ち着いた頃、コンサートの案内が届いた。結婚以来、お友達ともすっかり疎遠だったので、主任を誘ってみるこにした。
 「ありがとう。でも、一人で行って、楽しんでらっしゃいよ。家は同じ路線だし、現役のお婆ちゃんだから、預かるわよ」
 「でも、子供は連れて行こうかと……」
 「何、言ってるの。先ずは貴女がちゃんと笑顔にならなきゃ、子供を幸せにできないわよ」
 主任の言葉が心に沁みて、私は初めて主任の前で涙をこぼした。

 今日、出かける前に、子供を連れて主任の家へ寄ると、最初は落ち着きが無かったのに、ヤクルト1本で懐柔させられていた。安心して出かけようとすると、玄関先で主任に抱っこされ、バイバイして見送ってくれた。
 あの笑顔のためにも、もっと元気になないと!と思い、席に着いてから、先週末に家で作ったピンクのポンポンを鞄から出した。携帯で、レポを読むことが、心の支えだった。レポを書いてくれていた人達にも、心の中で感謝した。

mokkon at 22:00|PermalinkComments(0)

2012年11月10日

ピンクのポンポン★28

なけなしのチケット代  ダーリンからの贈り物

 一昨日、スーパーでのパート勤務を終えて、子供を迎えに実家へ寄ると、玄関先で母から封筒を渡された。何だろう?と思っていたら、
 「一人で行ってらっしゃい」と言われたので、アレか……と閃いた。そのまま黙って封筒を受け取った時のまんま両手で持っていると、母が話を続けた。
 「そんな気分じゃないかもしれないけど、ずっとそんな顔をして“母親”をしているつもり?」
 言われなくても分かっていた。最近、子供の前でも笑っていない。毎日が不安で、明日が恐怖だった。
 夫の会社が倒産した。失業保険はすぐに貰えたが、失業保険の受給期間は四か月と短い上に、金額も少ない。夫はすぐに仕事を探し始めたが、特別な資格や専門知識を持っていなかった上に、サービス業や体力を使う仕事に就く気が無かったので、まだ20代なのに、次の仕事が決まらないでいた。少ない貯金もすぐに底をつきそうになっていたので、私も仕事を探そうとしたけれど、保育園の空き待ちをするか? 高い私設に入れるか? 母に預けるか?で、母に預けることを選んだ。
 夫は地元へ帰るつもりは無いので、私の実家に暫く同居することを提案したけれど、夫には受け入れて貰えなかった。妥協案として、都営住宅への申し込みをしたけれど、夫は場所に拘ったので、いつの入居になるのかが分からない。
 一流大学を卒業し、輸入食品会社に入社し、営業の仕事をしていた。しかし、新しく設立しようした外国での調理工場の建設で詐欺に合った。夫の話だと、それだけなら会社も何とか持ち堪えられただろうとのことだった。しかし、その穴埋めのために、ネット販売業者へも商品を卸し始めたことがアダとなった。数社から商品を多量に騙し取られた上に、そのことがニュースとして流れた為、元々の取引先からは、自社よりも安く商品を販売しているネット販売業者へ商品を卸していたことが知れ、取引を切られてしまい、倒産したのであった。
 普通の転職ではなく、倒産した会社に居たことで、面接の時に厳しい言葉を浴びせられることもあるという話を、夫からは何度も聞いていた。
 夫は以前に勤務していた会社同様に、輸入食品を扱う会社を希望したけれど、難しい様子だった。そして、夫の何の役にも立たないプライドが、親子三人の生活を困窮させていると、私は思っていたし、残り四か月、夫の勤務先が倒産してから一年を過ぎても、次の仕事が決まらない場合は、離婚を考えてもいた。強引に愛想を尽かしてでも、母子二人で生活した方が経済的に楽だということが、パート先で聞いた話で分かったからだった。
 以前の生活に戻れるという保障が皆無に近いことを、夫の履歴書が返送される度に痛感していた。失業後、夫は煙草もお酒も自主的に止めていたけれど、月二万円程度の節約では光熱費程度にしかならなかった。

 去年の秋に子供を連れて出かけた時、既に会社が危ないことは聞かされていた。夏の賞与が半額にまでカットされていたけれど、10月も給料日にちゃんと給料が振り込まれていたので、どこか他人事のように現実を見ていた。でも、本当にそうなるとは思っていなかった。
 FCは継続せず、お正月も4月も観劇は諦めた。でも、そのことを夫に文句を言った記憶はないし、夫からも何も訊かれなかった。
 「あの通りの性格だから、何も言えないんじゃない? 『お義母さんが買ったことにしておいて下さい』って、昨夜、ウチに寄ったの。以前みたいに、子供の前では笑っているお母さんで居て欲しいんだって。お父さんがね、上がって、一杯飲んで行けって勧めたんだけど、次の仕事が決まるまではって、断ってたわよ」
 そんなの当たり前の話だと思った。今は私だって、我慢して働いていて、頑張って生活も切り詰めて…… 頭の中でグルグルと考えている間に、涙がこぼれて、私は立ったまま、大声を上げて泣き出した。居間に居た子供が飛び出してきたが、母が抱き上げて、
 「部屋で泣きなさい」と言い、子供を抱き上げて居間へ戻ったが、子供も大声で泣き始めた。
 「大丈夫よ、ママ、仕事で疲れたの。お風呂入ろうか? 上がったら、ママも元気になっているから」
 母はいつも、そしていつまでも『母』だと、有難く思った。そして、プライドは高いけど、ちゃんと私を見ていてくれている夫を、生涯の伴侶に選んで良かったと初めて実感した。

 今日は母が家へ来てくれた。お昼御飯にと、スーパーで買ってきたお寿司を持ってきてくれた。両親も中々、次の仕事が決まらない夫の性格を心配し、そろそろ、私に離婚を勧めた方が良いのではないか?と何度となく話していた時に、チケットを持って実家に来たとのことだった。夫には、母が買ってくれたからと言って、出かけることを伝えると、とても嬉しそうに、楽しんでおいでと言ってくれた。夫の明るい顔を見るのは久しぶりだった。
 急にシフト変更をお願いしたことで、職場に迷惑を掛けることにはなったけれど、その分、明日からはもっと仕事も頑張ろうと思う。
 席に着いてから、ピンクのポンポンを捨てなくて良かったとつくづく思った。席はお世辞にも良いとは言えないけれど、参加できるだけで十分だった。そして、今日は帰ったら、明るく、『だだいま』と『ありがとう』を言おうと思っている。次回がいつになるのか?は分からないし、グッズは何も買えないけれど、今日、来れただけで十分に嬉しかった。
 ただ、一昨日から、他人名義のチケットだし、母がオークションなんてやる人じゃないことくらい、分かんないのかな?と思うと、開演前の今も可笑しく感じる。
どうなったかな? 


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2012年11月09日

ピンクのポンポン★27

なけなしのチケット代  一人暮らし

 失業して3ヶ月。雇用保険なんて無いところで働いていたので、失業保険も貰えない。
 元々、Wワークで、夜は週に2度スナックでバイトをしているけれど、スナックのバイト代だけでは、月六万円の家賃分にも満たなかった。田舎へ帰っても、実家に私の居場所は無かった。
 昼間のバイト先仲間で働いていた人達は、主婦の人達を除くと、誰もがネットカフェ難民になることを恐れていた。懸命に働いても生活費キギリギリで、独身、恋人居ない、Wワークが当たり前。そんな世界だった。
 結婚する経済力がない上に、恋人が出来てもデートするお金も無いし、着て行く服も無いことを考えると、誰もが恋愛から距離を置かざるを得なかった。
 そして、そんな私達のすぐ隣では、スーツに身を包んだ正社員達が、年中無休勤務のバイト人間を蔑みながら、週末・祝日・年末年始・GW・夏休み・有給休暇を当たり前と考える生活を謳歌していた。勿論、年収差は倍以上だったので、私はいつも月曜の朝が辛かった。
 私達が週末、懸命に働いている間に、社員さん達は買い物やレジャーで楽しく過ごしていたのだから。
 週休2日の生活なんて出来ない環境の中で、私達はWワークをこなし、何とか生きていた。
 それでも、人件費と法人税、高い賃料の節約のため、私達がこなしていた仕事は地方へ移転した。1ヶ月前に告知はあったけれど、その1ヶ月の間に次の仕事が見つかった人は1割も居なかった。
 「まだ若いんだから、仕事なんていくらでもあるよ」と、何人もの人達から言われた。確かに、求人を見ると、私のスキルでも出来そうな仕事は多い。でも、企業側が求めているのは、かつての経歴とスキルでしかないことを、今回も思い知らされた。前回の仕事探しの時もそうだった。面接で正社員として働いたことが無いことをいつも指摘された。
 父親の取引先に入社した同級生は、1年もたたずして退職したけれど、すぐに次の仕事を正社員で見つけていた。他にも、卒業後に銀行で働いていた同級生は既に2度転職しているけれど、今も正社員として働いている。
 一昨年までは結婚披露宴の案内状が届くと、ちゃんと出席していたけれど、一昨年からは、自分が惨めに思えて、仕事を口実に断るようになった。食事に誘われても断り続けていたら、1年くらい前から、すっかり同級生と疎遠になってしまった。たまに自分でも、何をやっているんだろう?と思うけど、同級生と出かけると、いつも私一人が安い服を着ていることは一目瞭然だった。

 “貧困女子”という言葉を、TVで初めて見た時は泣きそうになった。私は今の生活に満足していないし、楽しんでもいない。だけど、世間ではそれを笑い飛ばして生きている人達が居て、そういう人達が堂々とテレビに出てしまうから、世間のちゃんとした生活を送れている人達が、自ら貧乏生活を選択している人達が居るという勘違いをしてしまうのだと。
 私がディズニーランドへ行ったのは、学生時代の一度きりの話だった。
 でも、『生きるため』の『元気』や『支え』だけは失いたくなくて、FCだけは続けていた。そして、コンサートまでには次の仕事が決まっている筈だと、社会と未来を信じてチケットを申し込んだ。でも公演の1週間前になっても、次の仕事は決まっていなかった。短期の仕事で、何とか生活費をつないでいるので、とっくにギリギリの状態だった。チケットが届いて封を切るも、オークションに出せない席だった。私は迷ったけれど、参加することを選択した。今は1300円を超える往復の交通費の出費さえ痛いことが現実だけど。

 1円でも交通費を節約したくて、往路は長い距離を歩いた。勿論、飲み物も食べ物も持参だった。
 最後のコンサートになるかもしれない…… そう思い乍ら、席に着いてからピンクのポンポンを用意した。
明日、アナウンスあるかな? 期待


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2012年11月08日

ピンクのポンポン★26

 体調の都合でネット巡りの旅は延期  書くことは何とも無いのですが、外からの刺激が
仲良し家族 姉を嫁に出す


 ドラマで恋に落ちてから、13年。2つ上の姉も、初めて観た舞台で恋に落ちてから、6年。
 「いい加減にお嫁に行って!」が、一昨年からの母の口癖だった。22歳で結婚し、24歳で姉を産んだせいか、27歳と29歳の娘二人が、今もって独身という現実を受け入れることができない様子だった。
 以前はパート先の独身女性のことを、アレコレと悪く言ってたけれど、娘二人が成長すると、他人の批判をしている場合ではないらしい。父は職場で、30代の独身女性達を見慣れているせいか、何も言ったことはない。でも、姉から言わせると、
 「どんな男性を連れて来ても、気に入らない!と怒るタイプに決まっているでしょ」とのことだった。
 確かに、姉が高校時代に初めてボーイフレンドを自宅へ招いた時、父はニコやかにはしていたけれど、翌日、会社の人達に抱えられ、泥酔して帰宅した。
 その後、私が短大に通っていた頃にも、ボーイフレンドを自宅へ招いたけれど、同じ結果が待っていた。
 「だから、芸能人に夢中になっている方が、安心なんじゃないの?」が、姉の意見だった。
 以前は、姉妹二人で出かけると、母も一緒に迎えに来ていたけれど、今では父一人が車で迎えに来てくれる。自宅近くの駅ではなく、会場近くまで。
 と言う訳で、今日のコンサートは父を誘っての参加だった。
 「ストレートに正面から誘っても、無理だと思うなぁ」という姉の提案で、一緒に出掛ける予定だったお友達が、急に来れなくなったことにしてみた。
 日曜の夕飯時に誘ってみると、お母さんと行けば良いんじゃないの〜と、やんわりとした言葉で拒否していたけれど、母が打ち合わせ通りに、父の前で拒否してくれたので、二度目は、じゃあ仕方ないから付き合うか……と、あっさりと承諾した。母と私は顔を見合わせて安堵し、姉は知らん顔をして食事を続けた。

 父は娘二人にとっては、優しい父親で、母はそのことに文句を言ったことは一度もない。母がダメ!と反対しても、父がOKすれば、何でも許される環境で育ったせいか、中学〜高校時代に同級生と比べると、雑誌やCDはたくさん買って貰っていた方だった。
 孫から見ても気難しい性格のおじいちゃんに育てられた母は、自分の子供が思春期になっても親と普通に話せる関係が理想だったので、父と私達姉妹の関係に満足していた。だけど、父娘関係と娘の結婚は別問題でもあった。
 「いつまでも元気で、孫の面倒を見られる訳じゃあないんだから、一日でも早く、お嫁に行って、孫の顔を見せて頂戴!」と、父がコンサートへ行くことを承諾した後も、母はいつもの様に文句を並べた。

 コンサートの日、三人して仕事を休むことになるので、外でランチをしようということになった。いつもの様に父が車を出してくれた。人気のあるピザ屋さんへ行ったら、夏休み中のせいか、平日なのに随分と待たされそうだったので、フレンチへ変えた。大人三人が静かにランチするのに良い環境で、父の楽しそうな顔を見ていると、いつまでもこの時間が続けば良いのにと思った。
 父は娘が興味を持つことを知りたがるタイプだっので、DVDも何度となく一緒に観たこともあったし、TVに出ている時は、CH権を譲りつつ、一緒に観ていた。そして、母から聞いた話だとと、父はTV番組の観覧に行っても車で迎えに来てくれるけれど、放送された番組を、後日、一人で何度もチェックして、娘の姿を探しているとのことだった。そんな父なので、姉がわざと居間でピンクのポンポンを作っていると、父の分だとは言ってないのに、俺もそんなものを持つのか?と言いつつ、嬉しそうな顔をしていた。

 会場へ着くと、父のお小遣いでグッズを買い、中へ入った。席は父を真ん中に私と姉が座り、春の舞台の話や去年のコンサートの話をした。聞き飽きている筈の内容なのに、父は上機嫌でピンクのポンポンを既に握りしめたまんま、私達の話に聞き入った。姉の隣の席は空いているけれど、今日のチケットは最初から四枚申し込んでいることを知らないのは、父一人だった。開演時間が近づき、スーツ姿の男性が姉の隣に座ると、父が私に耳打ちした。
 「男一人で観に来る人も居るんだね」
 父の笑顔に罪悪感を抱きつつ、私は笑顔で頷いた。
 客電が落ち、公演が始まった。後半、父の背中越しに姉の方を見ると、父とは反対側に寄って立ちつつ、姉も私の方を見ていた。口パクで、『大丈夫?』と訊くと、姉は苦笑いしつつ、頷いた。
 もうすぐ、母が会場へ到着する予定で、帰は私が車を運転する計画になっていた。
 父を地獄へ落とすのは忍びないけれど、姉の幸せも大切だったし、少しは母が静かになることも期待していた。そして、父の性格を考えると、初回は人目のある場所で短時間程度の方が良いに決まっているということが、女三人の一致した意見でもあった。そして、お店を出た途端に号泣されると、連れて帰るのはもっと大変な筈だった。
 ごめんね、お父さん……と心の中で呟きつつ、隣を見ると、父は上機嫌で胸元で姉の作ったピンクのポンポンを振っていた。
明後日、アナウンスあるかな? 期待


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2012年11月07日

ピンクのポンポン★25

 見事に  あの番組の時のが変 心はまだですが…  は、陽気な一家の物語

 今日も女5人でお出かけ。祖母、母、叔母、私、妹。一番最初に恋に落ちたのは、ドラマで恋に落ちた母だった。次が母と一緒にバラエティ番組を観ていた私だった。続いて、母の影響を受けた叔母がドラマで恋に落ちた。そして、強引にコンサートへ引きずられて行った妹までもが恋に落ちてしまい、祖母は娘や嫁、孫が恋している相手と知らずに、大河ドラマで恋に落ちた。
 もっとも、母や叔母も、自身が若い頃からアイドル好きだっので、恋する相手が変わった程度でしかない。以前はハロプロ好きだった従弟達は、今は秋葉の方が良いらしい。
 父は子供の頃から巨人一筋で、兄も父の影響で、巨人一筋の人生を送っていて、昨年結婚した義姉とは東京ドームの婚活シートで知り合った程だった。義姉の妊娠中の子が男の子だったら、リトルリーグをやらせたいと夫婦で話している程だった。
 最近の祖母と叔母、私、妹の心配は、
 「父が死んだら、私にも結婚する資格が発生するのよねぇ」と、祖母の前でも笑顔で語る母のことだった。
 孫が生まれたら、一緒にコンサートへ行きたい!と言い出さないか?が気になっていた。そんなことを言い出されたら、嫁姑戦争が勃発しかねない。
 「義母親にしてあげるから、待ってて!」と、今年の春、桜吹雪の舞台を観た帰り道、妹が試しに言ってみると、
 「それも良いわね。頑張って、会う為のコネを見つけてよ! 『お母さん』と呼ばれる日を楽しみしているし、私の孫が……」と、勝手に想像の世界へ入ってしまった。
 妹に変なライバル心を持たれるよりはマシだけど、どこまでが本気で、どこからが冗談なのかが、母の片想いに関しては判らなかった。

 母の猛烈な片想いは、行動力も伴っていたので、時には祖母と叔母の三人、又は祖父を加えた四人で地方へ行くこともあった。父と兄は、母が出かけることで自分達も好きに外出できるので、好きに出かけて下さいと言うタイプだった。そして、父がWBCを観るためだけに有給を使っても、母は何も文句を言わなかった。
 心配した祖父母が、父に話を始めたけれど、母は自分も好き勝手させて貰っているからと、逆に父を庇った。
 私と妹は、運命の人とはまだ出会ってはいなかったけれど、恋愛はちゃんとしていた。ただ、皆で観る楽しさに慣れてしまったせいか、他の芸能人のコンサートに出かけても、好きになれないでいた。
 なので、今日からの二日間、私と妹は仕事を休んで、コンサートへ参加するのだった。





 会場へ到着し、グッズを買ってから、入場の列に並んでいたら、叔母以外の四人の携帯が一斉に鳴った。兄から、義姉の陣痛が始まったというメール連絡だった。
 「どうする?」
 妹が母に訊いたが、
 「初産だから、すぐには生まれないと思うけど」と、祖母が冷静に答えた。母はメールを打ちかけた手を止めて、電話を掛けた。
 「もしもし、いつ始まったの? うん、分かった。コンサート終わったら、連絡する」
 電話を切った母の表情は、さっきまでのウキウキした顔とは全く違っていた。
 「さっき始まったばかりで、病院へ電話を掛けたら、まだ来ないで下さいって言われたみたい」
 「じゃあ、まだ大丈夫よね」
 叔母が笑顔で言うと、母は黙って頷いた。私と妹は顔を見合わせたけれど、母には、何も言わなかった。定刻になり、入場し、席に着いた。やはり、珍しく母がぼんやりしている。
 祖母、母、叔母がトイレに行っている間、妹と話をした。明日、母はコンサートと孫のどちらを選ぶのだろう?と。でも、今夜中に無事に生まれてしまえば、明日もコンサートへ来るだろうねとも。そして避けられない話題を私から振った。
 「来年、どうなるかな?」
 「一度、OKしたら、義姉さん、毎回、引っ張って来られることになるだろうね……」
 「洗脳しちゃうとか?」
 「それしかないのかな…… お兄ちゃんがさぁ、転勤にでもなってくれたら良いけれど、難しいだろうね……」
 その後、トイレへ行った三人が戻ってるまで、二人して黙り込んでしまった。
 母はトイレから戻ると、いつもの母に戻っていた。そして、コンサートが始まってもいつも通りの母だった。だけど、ピンクのポンポンを持つ時、珍しくしっかりと腕時計を見ていた。祖母、叔母、私、妹は皆で顔を見合わせて笑ったけれど、真ん中に座っている母は、皆がどうして笑っているのか意味が分からず、隣の祖母に、
 「どうしたんですか?」と訊くも、祖母は、
 「別に」と言って流してしまった。それがまたおかしくて、四人共、笑いながらピンクのポンポンを振った。


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2012年11月06日

ピンクのポンポン★24

笑顔でバイバイ  不倫編


 今日は二人でコンサート。と言っても、彼と二人でのお出かけ。結婚指輪をはめない男性が珍しくないせいか、一緒に出かけると、必ず夫婦に見られる。自宅も、夫の勤務先も県内にあり、夫の友達や親族も殆どが県内在住と、コンパクトにまとまっているので、二人で出かける時は都内か、遠方へのドライブだった。
 彼は平日がお休みということも、今は専業主婦である私には都合が良かった。知り合ったのは、スポーツジムというありふれた出会いだった。
 夫とは高校時代の同級生で、成人式の日に再会してから交際をスタートさせた。夫の大学卒業から二年が過ぎた頃にプロポーズをされ、翌年に結婚した。暫くは二人きりの生活を楽しんでから、子供をというのが二人の考えだった。でも、結婚から間もなく、彼が突然、半年の予定で外国へ単身赴任に行ってしまった時に、新しい恋が始まった。
 結婚と同時に購入したマンションの近くにスポーツジムがあり、私達はすぐに会員になった。週末には夫婦でジムへ出かけることもあるので、三つ年上の彼は、私が既婚者だということは知っていた。でも、夫が外国へ赴任している間の心の隙間を埋める人の存在がどうしても必要だった。
 最初はジョークのように食事に誘われた。食事に行けばどうなるか?ということは想像できたので、挨拶の様に短い彼からの誘いの言葉を、私はずっと断り続けていた。でも、ある日、仕事でミスをした私はどうしても誰かに慰めて欲しくて、教えて貰っていた携帯番号へ電話を掛けてしまった。
 夫の単身赴任は半年の予定が、一年に伸びたため、私は結婚後、初めてのクリスマスも彼と迎えた。彼は部屋でお酒が入ると、
 「真剣だったのに、フラれた。何でだろう?って、今でも思う。他に好きな人が出来た訳でもなければ、飽きたとか、嫌いになった訳でもなくて、泣きながら、『一緒に居る自信がないの』『二人で幸せになれる自信が無いの』と言うんだよね。それ以来、ダメなんだよね」と言い乍ら、いつもペンダントのチャームをいじっていた。私は彼に、
 「いい加減、忘れて幸せにならなきゃ」と言い乍ら、彼の腕を両手で掴み、彼の肩に自分の額をくっつけていた。
 夫が帰国してからも、彼の部屋でのデートやドライブは続いた。彼が接待でお酒を飲んで帰宅したり、会社の人達と食事に行って帰ってきても文句を言わないせいか、夫も私が外で夕飯を済ませて帰っても、何も言わなかった。彼の部屋へ寄るのは月に1〜2度程度だったし、夫婦でジムへ行っても、彼は以前と変わらず、挨拶を交わす程度だったので、誰も彼と私の関係に気付かないでいた。
 夫の帰国から半年、私は妊娠した。彼に告げると、彼は黙って、私に差し出していたビールグラスを自分の方へ引き寄せた後、冷蔵庫からウーロン茶のペットボトルを出して、私に手渡した。
 「おめでとう」
 そう言うと、ビールグラスにペットボトルを軽くぶつけて乾杯してくれた。
 私が妊娠すれば終わると思っていた彼との関係は、その後も続き、私が仕事を辞めてからは、彼がお休みの日に都内で待ち合わせをして出かけるようになっていた。
 いつまでこんなことを続けるのだろう?と自分を責めつつも、彼と会うことが止められなかった。でも、離婚をしてまで、彼と一緒に居たいという気持ちもなかった。
 都内だと、手を繋いで歩くので、いつも夫婦に見られていた。そして、お腹が目立ち始めた私が彼の部屋に出入りする所を、彼の同じマンションの人達から見られることは、彼にとっても都合が悪い筈だった。
 ある日、彼の方からごく自然に話をきり出してきた。
 「そろそろ、終わりにしよう。タイミングは任せるから」
 私は動揺しながらも、頷いた。

 夫と一緒に行く予定だったコンサートチケットがあった。今夜のチケットだった。夫には、友達がどうしても行きたがっていると嘘をつき、彼を誘うことにした。
 何度となく、コンサートやお芝居の話をしていたせいか、彼は抵抗なく、コンサートへ一緒に出掛けることを承諾してくれた。
 表参道で、最後の食事をした。いつもの様には会話が弾まない。食後の珈琲を飲んでいた時、彼が言った。
 「ごめん、そっくりだったんだ、彼女が君に……」
 私が何も言えないでいると、彼が話を続けた。
 「だから、君に対して真剣な気持ちになることが、僕にとっても怖かった。仕事も辞めるし、引っ越すから安心して欲しい」
 「何処へ?」
 咄嗟に言葉が出た。
 「内緒。でも、妊娠を知らされた時から、次の仕事は探していたし、お給料も上がるから」
 彼が笑って、私の頭を撫でた。

 手をつないで会場へ行き、開演までいつもの様に喋った。彼もコンサート中に、ふざけて、ペンライトやピンクのポンポンを楽しそうに振っていた。
 でも、二度目のアンコールコールが始まった時、彼は私の肩を指で突っつくと、耳元で言った。
 「ちょっと、トイレへ行ってくる」
 笑顔で後方を右手の親指でさした後、自然に自分の席から離れ、私も笑顔で小さく手を振って、彼を見送った。

 彼との最後の瞬間は、私の予想よりも30分近く早かったと気付いたのは、2度目のアンコールが終わろうとしている時だった。

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2012年11月04日

ピンクのポンポン★23





 久しぶりに、東京遠征! でも、今日と明日は気合いを入れての参加になるので、初めてコンサートに参加した時よりも興奮していた。
 昨夜、出かける準備をしている最中に、父親が珍しく私の部屋へ来た。また何か東京でしか買えない物のお遣いに行かされるのかな?と思っていたら、不意討ちを喰らった。
 今回を最後に、二度と『遠征』をしないと約束させられたのだった。理由は秋に結婚が決まったからだった。お嫁に出て行くのならいくらでも誤魔化せるけれど、彼が婿入りしてくれるので、誤魔化しようがない。今朝、朝御飯の支度を手伝いながら、母に相談してみたが、頼りにしていた母からも、
 「貴女は長女で家を継いで貰わなきゃあいけないから、好きなようにさせてきたんだから、結婚したらちゃんと大人しくして貰わないと困るのよ」と釘まで刺されてしまった。
 そして、それを傍で聞いていた妹二人からも、留学までさせて貰えたお姉ちゃんは欲張りすぎる!と口を揃える。でも妹達は、私の結婚を機に二人でマンションを借りて暮らし始めるので、留学していた時を除けば、ずっと実家で暮らしている私の方が“籠の中の鳥”にしか思えなかった。
 お寺の長女として生まれたので、年末年始の外出には全く縁が無く育った。縁が無いと言うよりは、お寺の行事や雑事を手伝うことが当たり前という環境で育っていた。だから、生まれて初めて初詣に行ったのは、高校生になり、BFができてからで、三が日は明けてからだった。
 クリスマスは、父が子供の頃から、本堂にツリーを飾り、昼間、近所の子供達を集めて、盛大に祝う習慣があった。子供の頃はサンタクロースも確かに来ていた。但し、鶏肉の唐揚げは夕飯のメニューで、昼間、本堂で食べる物はお菓子とケーキ、おにぎりだった。

 下の妹が生まれた頃から、
 「お前は長女だから、婿を貰うんだぞ」と、呪文のように言われ続けた。でも、高校から地元のミッションスクールの付属へ進み、そのままエスカレーター式に大学へ進学。途中、ダメ元で父に、留学したいと言ってみたら、
 「家を出るとしたら、今だけだし、仕方ないか……」と、あっさり認めてくれたので、ロスに一年、留学した。
 卒業後、普通に就職し、恋人もできたけれど、一度、ウチに来て貰い、両親に紹介した翌日から、二度と連絡が取れなくなったということを二度も経験した後、もう恋愛結婚は諦めることにした。勿論、その後も恋愛はして、プロポーズもされたけれど、言葉を濁して、いよいよ返事が濁せなくなった時にドロンするということが二度あった。そして、去年の年末、
 「来年は27じゃないか!」という父の一言で、年明けから、婚活と言うよりは婿探しが始まった。
 普通に結婚して、家族も持ちたかったので、お見合い結婚になることは納得していた。両親と仲良くしてくれて、お寺を護ってくれるだけの強さと社交性があれば、他に条件は無かった。強いて言うなら、いかつい顔の人よりも、人あたりのよさそうな顔の人が良いなという程度であった。そして、出来れば、同じ宗派のお寺の二男か三男が理想だなと思っていた。
 でも、まさかそんな人が居るとは思わず、親任せにしていたら、本当にそんな男性が存在していた。
 一つ年下で、今は役所勤務をしているけれど、将来は父の跡を継いで寺に入っても構わないということだった。
 会ってみると、私の両親にも話しかけてくれる好青年だった。翌日の昼間、私が会社へ行っている間に仲人さんが来られて、結納の日程まで決められていた。
 次の週末、初めてのデートをした。と言っても、近くの海までドライブで夕飯も食べずに帰ってきた。ドキドキ感は無かったけれど、この人となら、小さな喧嘩はあっても、穏やかに暮らしていけるだろうと思った。

 週末、彼に会った時は、これからも東京へ出かけたいという話をしたら、構わないとの返事だったのに、父親から釘を刺されてしまった。どちらが大事?と訊かれたら、答えは決まっている。だけど、とりあえず今回は、もしもの時のために、普段よりもちゃんと楽しんでおこう!と、ピンクのポンポンを握りしめた。  


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2012年11月03日

ピンクのポンポン★22

 食事中、女子高生の格好して現れるだけで、十分にドッキリの様な……  仕込みの様に当たったね〜〜〜(笑)

 へこんだ気持ちのまま参戦……  イヤだなぁと思うけど、仕方がない。仕事で課長に叱られてからコンサートへ来るなんて最悪!と思っていたら、待ち合わせをした友達からは、
 「逆に気分転換になるから、今日がコンサートで良かったんじゃないのかナ」と、いかにも他人事のようなメールが返ってきた。
 それでも、叱られた原因が自分のミスではないので、面白くないし、どうして他人の失敗で、自分があんなに叱られなくてはならないのか?も、理解も納得もできない。
 ミスをしたのは先輩なのに、私が叱られた。後輩なら、面倒を見ていない私の落ち度ということで理解できるけれど、先輩のミスまで叱られたのでは、今後、他の人のミスも全部、私のせいなの?と、落ち込んでしまう。
 私、何か他に怒らせるようなことをしたっけ?と考えたけれど、やはり浮かばなかった。
 休憩スペースで、ぼんやりと携帯をいじっていたら、他の先輩が声を掛けてくれた。
 「叱られる心当たりが無いって顔してる」
 「その通りですから」
 「本当、ちゃんと考えてみた?」
 「考えました」
 私は心配して、声を掛けてくれたであろう先輩を睨んでしまった。
 「もう27歳なのに……」
 先輩は苦笑いをはっきりと浮かべて、休憩スペースを出て行った。
 仕事に年齢は関係ないけれど、性格や考え方にも年齢は関係無いと思っている私に、『もう27歳なのに……』という言葉は、余計にカチン!と来た。
 席に戻ってからも考えてみたけれど、やはり心当たりがないし、課長は倉庫への指示出しが間違っていたことしか口にしていなかった。倉庫へ、翌日の出荷指示を出すのは先輩の仕事で、私の仕事は、自分が担当している取引先への発注をまとめることだった。先輩が担当している出荷指示の管理は関係ない。

 会場の最寄駅で友達と合流してからも、私は気持ちはへこんだままだった。友達が呆れた顔をして言った。
 「本当に自分のミスじゃあないのなら、訊いてみれば良かったじゃない。どうして私が叱られるのでしょうか?って」
 「そんな隙、無かったもん……」
 「じゃあ、どうして、先輩のミスを叱られたの? 普段からミスが多い人だった? だったら、どうして、ちゃんと先回りして、ミスをしないように様子見しておかないんだという意味とかね。それだけ、期待されてるのよ」
 「そうかなぁ……」
 その後は、友達に話題を変えられてしまった。

 開演時間ギリギリに入場した時、携帯が鳴った。会社の後輩からだった。
 「少しだけ良いですか?」
 「何かあったの?」
 「あの、気になったことがあって。先輩、在庫確認してから、発注確認の伝票を出しました?」
 「勿論だけど。どうして?」
 「在庫数にエラーがあって、ちゃんと倉庫に電話で確認を取ってから発注伝票を切るようにって、今朝、一斉メールが来ていたんですけど、発注伝票を作る時、在庫に問題はありませんでした?」
 頭の中が真っ白になった。確かに、発注管理者は倉庫への指示がメインで、営業さんからの緊急以外は、在庫の確認はしない。
 「課長が営業部へ行って、何とか明日の出荷を調整して欲しいって、営業部の部長に頭を下げていたって話を同期のコから聞いたので、一応、お知らせしておいた方が良いかなと思って」
 「教えてくれてありがとう。じゃあね」
 一層、気持ちがへこんだ。携帯を切ると、私は先に席へ向かった友達を追ったけど、途中で客電は落ちた。
 席に辿り着くと、友達が、耳元で声を掛けてきた。
 「どうしたの?」
 「今日、私の失敗だった」
 友達が、一瞬、へ?という顔をした後で大笑いをした。こんな時は大笑いされる方が私の気持ちが軽くなることを、友達はよく知っている。高校時代から同じ芸能人に憧れているという絆は、結構、強いものらしい。
 本当、もう27歳なのに、何をやっているんだう?と、心の中で自己嫌悪に陥った。明日は、迷惑を掛けた4人の人達にちゃんと謝らないと……と考えながら、ペンライトとピンクのポンポンを準備した。
 焦って叱る時の言葉を間違えていた課長、私を信じて発注管理の仕事をこなしている先輩、私のミスを予想して、遠回しに叱られたヒントをくれていた先輩、本当のことを教えてくれた後輩、4人にちゃんと謝らないとね。
 特に先輩二人は、課長の言葉の間違いに、気付いていたけれど、火に油を注いでも仕方がないことも分かっていたのだろう。私もちゃんと大人になないとね。
 そして、私の表情をちゃんと見ていたからだろう、事情が分かって、明日ではなく、すぐに連絡をくれた後輩には感謝もしなくてはならない。
 今夜のコンサートは、心から楽しめそうもないけど、社会人になるとこんな気持ちでコンサートを観ることもあると、社会人7年目にして、初めて経験した自分は、きっと恵まれている環境で働いているんだろうなぁということを自覚した。
 ぼんやり考え事をしている間に三曲も終わったけれど、仕方がないなぁと思いつつ。ステージを見つめた。
 
 彼らがデビューした時、ちょうど高校生だった27歳くらいの人達が一番、ファン層としては多いのかな?と思い、27歳をモデルに、正しくは強引に27歳という設定で書いています。そろそろ、飽きてきていると言うか、20本以上も書くと、自分でも思っていませんでした。TVがつまんないので、ついついPCに向かって、一人遊び♪
 >暗い生活だなぁ(^^;)


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